風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

うつ予防

天気も冴えないし、コロナで世界全体が重苦しい。

鬱病になりそうだな、と感じたら、予防として試して欲しいことがある。

誰かのために役立つことをする。

寝ている子供の布団を治すとか、親に元気かどうかを電話で聞くとか、そんなことでもよい。自分のためだけのことばかりしていると、殻のようなものが心に形成されてしまい、その中でウツな気持ちが醸成される。ウツは無力感とセットになっていることが多いから、誰かの役に立っている、自分には何とかする力がある、と思えたら回復のチャンスだ。逆にそれを得られる現実的な見込みがない時は深刻だと思う。そういうときはそこから逃げ出すしかないと思う。

 

あとはやはり眠ることだ。眠れるのなら。たくさん眠れる環境に身を置いて欲しい。

わからない

息子は朝から夕方まで本日はずっと塾で勉強漬けだ。俺はマンションの理事会で近くの集会所で打ち合わせをした後、家の掃除に勤しんだ。そして激しく散らかっていた息子の部屋を意を決して片付けてみた。部屋をきれいにする、という当たり前のことができるようになる、その機会を結局は親である自分が奪ってしまったわけだ。

だが、塾で忙しい息子のために、そこで勉強しようという気が出るように部屋を掃除してあげるのは、俺なりの応援のつもりでもある。

わからない。

これは甘やかしているのだろうか。

 

厳しく育てることで得られるたくましさがあるが、厳しくされることで自信を失う人もある。

優しくされ続けることで、脆くて挫けやすくなる人もあるが、自分を好きになってそして人に優しくするための強さを獲得してくれることもある。

どうすれば、必ずこうなる、という科学的な法則がない。

子育てはある種のギャンブルの連続だ。

 

いつの日か、親であるあなたが甘やかしたからです、と、誰かに厳しく責められる、そんな日も来るかもしれないな、と、覚悟しつつ、優しさを注ぎつづけていくことでどんな風に育つのかを見ていこうと思っている。

北の国から

今更であるが、やはりこの国民的ドラマ、北の国から、を見ないままに歳をとるのは避けたいという気持ちになり、そんなわけでフジテレビオンデマンドで見始めた。2週間までは無料で、それ以降は毎月1000円だ。2週間以内に全話見てしまいたいと目論んでいたが、全部で二十四話。5日で10話まで見終わったので、なかなかいい勝負である。

子供の頃に見ていたとしても、今、見ているような感覚では見られないかもしれない。

黒板五郎、が、どんな気持ちで子供たちを見ているのか、という大人の目線にどうしてもなってしまう。このドラマには子供も、中年も、老人も出てくる。みんなそれぞれに苦悩を抱えて生きている。それぞれにかくあるべし、を、抱えつつ、それらが他の人のそれとぶつかるときに生まれるできごとをドラマと呼ぶとするなら、まさにこの番組にはドラマが溢れている。

ザ・ファブル(映画)


映画『ザ・ファブル』スペシャルトレーラー

Amazon動画で有料のものを視聴。評判も悪くないので見てみた。

原作の前半のあるエピソードを中心に映画にしたものだが、映画が始まったときにつぎつぎと殺しまくるファブルの強さを見たときに、こんな派手な殺人をしまくるような話ではないんだよな、といやな予感がしたのだが、結局、その予感の通りであった。俺としては、やはり漫画が原作の映画を見てはならないんだな、と再確認。

岡田准一木村文乃もしっかり役を作っていると思うが、話の展開がおおざっぱであるし、キャラクターたちの行動も「ん?なんでそれやる?」ということが多かった。

これは見なくてよい映画だったかな。

口直しに原作を読み直したくなった。

 

ボサ バロック

ボサノバとバロックの融合なのだろうか、変わった曲名だ。雨の日に家の中で外を見ている時のような、そんな曲調。Amazonの聴き放題でボサノバ特集をあさっていて出くわした。

この曲、昔どこかで聴いたような気がする。

懐かしくて、でもいつなのか、どこでなのか、それを思い出すことができない。前世?

確かに昔聞いた記憶がある、好きだったことさえ忘れていた曲と出会えたことが、何だかとても嬉しくてありがたく思えて毎日のように、聴き耽っている。


Dave Grusin - Bossa Baroque

いつ聴いた曲なのかつい最近、なんとなく思い出すことができた。

俺が中学生の頃に母親が働いていた、小田急百貨店で流れて曲だったのではないだろうか。雨が降り始めたときに、店員さんに雨が降ってきているので梱包を防水したものに切り替えるように、ということを、音楽で伝えていたのではなかったか。

母親がこの曲が流れてきたということは、雨が降り出したってこと、と、俺に教えてくれたのではなかったか。

記憶のもやの中のことでしっかり思い出すことができないのだが。

中学生の頃に聴いた音楽が今でも記憶のずっと奥の方に残っていて、あ、なんだかこれ無性に懐かしい、という気持ちに俺をさせたのかもしれない。

視力0.2

新しい眼鏡は活字を読むのが苦にならない新しい眼鏡は活字を読むのが苦にならない。前の眼鏡は文字を読むためには眼鏡を外して、そうして肉眼で顔を本に近づけないといけなかったのだ。それを思うと本を読むつらさがほとんどなくなった。が、それと引き換えに生活での視力を諦めることとなり、視力は0.2である。それで暮らせるのだろうか。眼鏡屋さんも少し心配しているようだったが、確かに、すれ違う人の顔が見えないし、看板もよく読めなくなった。でも慣れてしまえばなんとか暮らせるモノのようだ。
それよりも活字を読むのが苦にならないというのがうれしい。これで趣味の読書に弾みがつくというモノだ。
それでもやはり、生活する上で視力が0.2しかない、という事実が切ない。
いろいろなことが「見えない」「わからない」ということで切り捨てられてしまうのだから。

マウス 息子のゲーム用と新しいメガネ

ロジクール Logicool G203-WH [G203 LIGHTSYNCゲーミング マウス]

をヨドバシで購入。

ネットで対戦型のゲームをやっているらしいのだが、思った通りにゲームを操れずにそれが理由でネットの誰かに負けてしまうというのは切なかろう。

 

12万円のメガネを買ってしまったので、無駄遣いは控えなくてはならないのだが、まあ、これはよしとしたい。

眼鏡の方はかけ心地も良いし、自分でも似合ってると思える。12万の分くらい似合ってるかというとそんなことはないが、耐久性などでジワジワとその価値が出てくると信じよう。