風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

オッドタクシー

 


www.youtube.com

Amazon動画で視聴。

やれ転生したらどうとか、異世界がどうしたとか、子供向けのアニメが幅を利かせていて虫歯になりそうなアニメの世界に、大人向けの苦いアニメがやってきた。

小戸川というタクシーの運転手の周りに起きる、大人ならみんな身に覚えのある苦くて辛い現実を、洒落たノリと語り口で語る。いくつもの犯罪の匂いを漂わせながら。

第一話で「We are the world」という歌について、医者と主人公の小戸川が少し長すぎる掛け合いをする。どの歌手がどうとかこうとか。つまりこのアニメのターゲット層は、俺のような年代の「We are the world」と聞いて、なんのことかパッとわかる人向けということだ。色々な登場人物が様々な業を負いながら自分らしく生きようとしている、群像ものアニメ。でも、基本的に語り口は辛い。最近流行りのご都合主義的な無敵展開はない。そうなんだよな、うまくいかないもんだよな、と共感しながら、見ていられる。

ODD TAXI という控えめなタイトルのせいで、視聴し始めるのが少し遅くなった。たくさんアニメがあるので、ついつい見慣れていないものには手が出しにくいのだ。

が、見てみて良かった。これは同年代に勧めたい良作だ。

有給消化、免許更新、メダカの死

免許更新のために警察署へ。行きがけに写真を撮った。暑さでメガネが曇った。もうそこでは2回目の更新になるのかな、ほとんどつまづくことなく更新手続きが終わった。警察署についてから45分くらいで終わった。せっかく有給を取ったというのに。

そのあとは皮膚科へ。湿疹で足がガビガビのボロボロである。写真を撮って共有したら読者が1人もいなくなりそうなくらいの有り様で、見ていて痛ましいくらいなのだ。病気ってつらいな。先生によると湿疹ではなくて今は水虫なのだという。悲しいことは、湿疹の薬は水虫にとってはむしろ良ないということで、かゆみを止めようとに塗っていた薬のせいで病状を悪化させていたという皮肉だ。

ミズムシの薬をもらったので、コレをせっせと縫って、かゆみを感じない人生に戻りたい。

 

メダカは朝死んで、夜も死んで、とうとう3匹。金魚と同じ水槽だから死んでる、という説は疑わしくなっている。じゃあ、なんで死んでたのか、なんで今死んでるのか、そういうことは本当にわからなくて、だからペットは難しい。

センター北駅にあるペットショップに行く機会があったら、また少しメダカを補充しようかとも思う。しかし原因がわからないと、このままではメダカで我が家が破産してしまう。

水槽2つ目

f:id:nonparking:20210728230928j:image

まるで水槽マニアみたいなので二つ目の水槽を建てることは避けたかったが、もうこれ以上、メダカたちを無為に殺すのは忍びないので、新しい水槽を建てた。アマゾンで1300円のめだか水槽セット。そちらに生き残りの5匹を入れた。先週は8匹いたわけなので、かなりの犠牲が出ている。やはり金魚との混泳が良くなかったか。

水槽を替えてメダカだけの水槽にした。かなり手狭になったが、金魚の脅威がないのでストレスはかなりなくなっていると思う。これで準町に育ってほしい。5匹しかいないのはなんとなく寂しいけれど、水槽の大きさを思えばこれが適正な数か。

卵を産ませてメダカをうまく増やしていきたい。特に息子にはメダカの赤ちゃん、針子、というらしいがそれを見せてあげたい。

それでも歩はよせてくる

絵が好みだなと思っていたら、すれ違う2人をかわいく描いた、からかい上手の高木さん、という漫画と同じ作者のマンガであった。

将棋大好きの女子高生と、彼女に憧れるスポーツ万能の後輩が、ただすれ違う話が続く。先輩に将棋で勝ったら告白しようと決めている歩は、しかし真面目に実直に、先輩はかわいいです、と、正面から言う。しかし、お前私のこと好きなんだろ?と、先輩が確認しようとすると、黙る。勝つまで告白しないと決めているからだ。

先輩も自分から告白するのはなんだか癪にさわるので告白しない。2人とも相手が好きなのに。あとは歩が将棋で勝てるかどうか、だが、先輩は将棋がとても強いのだ。

 

 

いっそ告白させたいと思っている時点で、そこに恋があるわけなのだが、それに気づかない若さが、おっさんには微笑ましくて読んでいて楽しい。

黒岩メダカに私のかわいいが通じない、も、そこが面白い。

 

ジョンレノンのラブという歌のフレーズ。

Love is asking to be loved.

 

今にして思うとあれは俺のことが好きだったということだよな、と、思い出される学生の頃の記憶がある。なにかしらこちらから、相手の気持ちを察して動けていたら、もっとキラキラした学生生活もあったろうにと、なんともったいないことをと残念に思い出す。そういう記憶が3人くらいあるのだが、どの相手も俺は好きだった。だが、恋する気持ちではなかった。この人が俺のことを好きなわけがない、と、はなからその可能性を排除していたのだ。他に付き合っている人がいる、と聞いていたり、以前に、付き合っている人がいるから、と、振られたりしていたから。でも、その可能性は今にいて思い出すと十分にあったようだ。

惜しいことをした。

 

が、当時、彼女たちに恋されたいという気持ちが強ければ、きっとそのように勘づくことができたろうから、そうとしか当時はなりようがなかったな、と振り返る。その当時の自分の残念さを悲しく笑いながら、若い時ってこういう空回りってあるよねー、と、行き違いを描いたラブコメを今は面白く思うではないかと自己分析。

それに短編のラブコメは疲れないから、年寄りには読みやすいというのもあるよな。

メダカの死体

水の底に下半身を失って死んでいるメダカを発見。妻が金魚に食べられたんだよ、と力説。それを否定することも認めることもできないまま、病死の可能性も有るが、小さいプラスチックの水槽をAmazonで俺は買ってしまった。生き残っているメダカ5匹をそちらに隔離するつもりだ。もうこれ以上の犠牲を出すわけにはいかない。

水槽を2つにするとまるで水槽マニアみたいなので、そうしたくはなかったのだが、メダカたちを見殺しにするわけにもいかず、やむに止まれぬ。確かにネットでは混泳はお勧めできないとあったが、死因は金魚たちなのかちがうのか、それはわからないまま、生き残っている5匹を明日もう一つの小さい水槽に移すことにする。

初めての Uber Eats

使っている人が増えているらしいこのサービス、一度は自分も試してみようかと携帯にアプリを入れた。なるほど、確かにうちの近所のあちこちの店が対応しているのだな、とわかる。あまり近所だとデリバリーしてもらう意味がないので、少し離れたところにある、びっくりドンキーというハンバーグレストランに注文してみる。メニューはかなり絞られていて、お店の10%くらいの品揃え。初めてのUber Eatsの利用だとご祝儀で2000円も割引してくれる。一度でも使わせればリピートさせる自信がある、ということか。

どうもアプリの決済入力がうまくないようで、クレジットカードの登録が何度保存ボタンを押しても保存されない。やむなくパソコンを開いてそこはなんとかする。パソコン画面でも、注文確定のボタンが見つけにくくてイライラした。

が、注文したあとの現状を細かく携帯画面に反映してくれるのは、細かい日本人にはうれしい。特筆すべきはデリバリーの様子で、バイクのマークが地図の上を動いているのが見えることだ。おー、頑張って届けに来てくれる、今ここなのか、ん、ここで立ち止まったぞ、などが全て携帯で確認できる。まるでゲームをやっている気分だ。我がマンションにバイクのアイコンが止まった時はちょっと興奮した。面白い、これ!

ハンバーグはいつもの美味しさ。店でしか食べたことがないものを家で食べられるという幸せ。

 

ただ値段は店よりもやや割高。3割くらい高い価格設定のような。配送料がさらにそれに載るので、Uber Eats に頼ってばかりいると、貯金は貯まらないだろうな。

餃子の王将Uber Eats対応しているのだが、うちの近くに王将がない。残念である。出店してくれないものかなー。Uber Eatsで配達できる範囲に。

4連休、終わってしまった

 息子がキャンプから帰ってきた。初めてのテントでの1人での就寝、寝袋は暑くてよく眠れなかったらしい。帰ってきてから、後輩のスカウトのせいでイヤな思いをした話を俺に話してくれた。そうしてそれについて決着したところで俺と将棋を打ったあとで、眠くなってしまったらしくそのまま7時くらいに寝てしまった。

 1人でテントで眠って帰ってくるなんて立派になったモノだと思う。まあ、スカウトのキャンプなので大人のリーダーが近くで同伴しているとはいっても。そうそう、リーダーの皆さん、俺なんぞはもうテント泊なんてしたくない。翌日は体がボロボロになるのがわかっているので。そんな中で若者たちにいい経験をさせてやろうという思いの中、頑張ってくれているので本当にありがたい。

 まあでも、その後輩のスカウトのせいでまたイヤな目に遭うのならば、わざわざイヤな思いをすることはなかろうということで、8月の上旬に予定されていたキャンプへの参加は見送りだ。

 イヤな思いをしてでもそれを乗り越えていけ、という親もいるかもしれない。実際にそういってくれたおかげで今の自分があるんです、という話もあるけれど、わが家はイヤな思いがするならば無理して戦うことはない、逃げることも大切、というスタンスなので人間関係でなにかがうまくいかないときには、できるだけ逃げるように誘導してしまう。そのおかげでますます人間関係の摩擦を乗り切る力がつかないのだが、ずっと戦いを避けて逃げ回りながらうまく楽しく生きていくことができるなら、それはそれで良いのではないかと思う。松岡修造みたいに誰もがいきられるわけではない。