風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

沖縄のボロボロ猫、ディノの来歴

 

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YouTubeで見かけてから、なんとなくずっと追いかけている動画。第10回目くらいまで公開されている。猫をかわいがっている沖縄県の人が、ある日拾ってきたボロボロの猫を保護して少しずつ、家猫らしくしていくまでの様子を不定期に(毎週1回くらい?)流してくれている。俺もそんなに猫が好きというほどではないのだが、まさに今どこかで生きている猫とそれを元気にしようと格闘している人がいて、まさにそこにはドラマがある。サスペンスがある。次第に猫は飼い主に懐くかもしれない。あるいは急死する可能性だってある。実際に起こっているノンフィクションの世界なので、そこにはなんの容赦もない。だから面白い。元気になってそうして飼い主に懐くところを見ることができたら、きっと俺はすごく感動すると思う。そうなるのを楽しみにしながら、しかし、不意に死んでしまうかもしれず、そうなることを少し覚悟しながら、今後どうなるのかはわからない、誰にもわからない。

スポーツなどを応援する気持ちと同じ感覚で、この拾われ猫のディノがどのようになるのかについて近頃目を離せない。

 

この動画の視聴回数には100万回を超えているものもある。約30万円くらいYoutubeから収入と入ったことを見込む。こういう形で手に入れたお金でまた猫を保護する、そしてそれを人々が見る、というサイクルは昭和の頃には想像もできなかったし、そうしてなんだかそこに健全なものを自分は感じる。

 

他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論

 

立場が違えば、こだわっていることも気にしていることも違う。

まず「相手は自分とは置かれている立場が違うのだ」ということを意識することが大切だと思わされる。

基本、いつも生活では自分軸で人は考えてしまう。

それでいいと思う。腹が減った、眠たい、面白い動画を見て笑いたい、などなど。そこに家族のような「他者」が入ってきたときに、相手の軸でものを考えないとならなくなる。子育てをすると少しそのセンスを研磨させられる。相手軸で考えざる得ない場面が否応なく出てくるからだ。

会社では、営業部との考え方の違い、上長との考え方の違い、お客さんとの考え方の違い、など色々と違いが出てくる。違っているということについては当然感じ取るので、その後の「観察」や「相手の立場に自分を置いてみる」ということをすることで、さまざまな人間関係の問題は解れていくと言っている。相手の立場に自分を置く、というのは、心理的にも、情報的にも難しい。簡単に言ってくれるよ、という感じだが、相手のことを知るためにはいろいろ質問したり興味を持たなくてはならず、実はそういう態度をとり始めることができたなら、人間関係の問題の半分は解決したようなものだと思う。

 

自分は自分、バカはバカ

 

ひろゆき自身が言っているが彼は世界全体をよくしようという意思はない。自分の動画を見ている人や、自分の本を読んでいる人が、少しでも生活が楽になれば、という立場で彼なりのアドバイスをしているだけだ。だから別の立場から見たら眉を顰めたくなるようなことも言ったり書いたりしている、が「自分の言動は商品なのだ」と割り切ったスタンスなのだと思う。お金を払ってくれている人に役に立てばいい、という態度だ。

タイトルは、明らかに自分はバカではない、という前提のタイトルでなかなか挑発的だし刺激的だ。ただ、確かに世の中には「なにこいつ?」と思うような人がたくさんいて、そういう人たちに暮らしを脅かされている人はたくさんいる。そういう人たちをどう心理的に遠ざけて、どう自分の心の平安を確保するのか、という考え方は役立つこともあるだろうと思う。

自分も誰かのことを「バカ」だと思ってうまく心の平安を保ち、しかし相手も相手で自分のことを「バカ」だと思って向こうは向こうでストレスをうまく緩和していく、そういう世の中は暮らしやすい世の中ではないかと自分は思う。

互いに分かり合えるまで空き地で殴り合うような付き合いは古い。互いにわかりあうことはできないよな、という前提をおきながら、お互いに快適で心地よい暮らしを探していくというやり方が良いのだろうと思う。

だからこの本は、気の持ち方、にウエイトを置いている。相手を変えるのは無理だとアドラーも言っている。自分の認知なら変えられる。それを助ける本である。

慰めの報酬


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007の役がダニエルクレイグになってからの2作目。1作目と4作目は見ている。ので、まだ見ていない2作目を見てみた。ダニエルクレイグの007シリーズにはユーモアとか洒落が全然なくて、007がガチで殴りあったり、車を走らせたり、とにかくアクション面がリアルになっている。かつての007シリーズがなんとなくオモチャを使って、荒唐無稽な大悪事を企むやつらをやっつける、という感じだった。少しふざけているところが味だったりもした。が、ダニエルクレイグのシリーズは、人としての007の苦悩や人間関係やら、兎に角しっかりドロドロである。俺はわりと好きだ。歴代のジェームズの中で銃の構え方が一番格好いいのは、ダニエルクレイグだと思う。

この慰めの報酬Amazon動画で視聴。

 

行間が広くて、あちこちになぜ?が、散らばっている。何故、彼は殺されてるのか?何故彼女は殺されていたのか? 何故、こいつは待ち伏せしていたのか? テンポを良くするために説明が犠牲になっている。話はイケイケで進んでいくのだが、俺の中には?が累積。アクションは気持ちよかったし、強くて男らしい007、カッコいいー、と見てはいるものの話には乗れていない。

アメリカものの映画やドラマ、ときどきこういう脚本についていけないのがある。

ゲームオブスローンも、主人公級の男の首を罰として切られるところで、なんでそうなるんだ?というのがわからなくて話に乗れずに見るのをやめた。

 

映画やドラマで大切なのは、この人はこうするよな、ということへの納得だと思う。そしてそれぞれに人は境遇も考え方も違っている。それらに共感はしなくても、納得はしていたい。こういうふうに考えるこいつなら、ここはこうするよな、うんやっぱり、と思いながら見たい。そういう人たちが絡みあって出来る模様のようなものを、面白がるのがドラマだと思う。

日本のドラマはわりとそういうことを意識している、と、思う。

日本人の脚本で一度007を作ってみて欲しい。

妙に家庭的な感じになりそうで、これはこれでダメかもなー。

星屑のメダカたち

スターダストという一匹380円のメダカを五匹大人買い。上から見ると青い体に小さい白い斑点が丸で、星のようだから、かな。確かに綺麗。他に、ダイアモンドダストという品種もいて、これは、灰色の体に白い斑点。そういう名前づけがメダカの世界では流行っているのか。真っ黒なやつもいて、まるで漆のようだった。欲しかったのだが480円と少し高いので我慢した。この、我慢もまた買い物の味のうち。

 

ペットショップにいくと20万円のインコやトカゲ、もっと高い犬猫がいて面白い。これらよりも安く売られている人間もいるんじゃないか、と思ったりする。それからペット的には自分が高くても安くてもどうでも良くて、すごく高いのに狭いケージに閉じ込められているのもいる。給料いいのに仕事に閉じ込められている人、ストレスで充満している人もいる。幸せそうかどうか、と、市場価値は関係ないよね。

スターダストは稚魚なので380円だが、成魚になると600円くらいになると思う。

メダカ水槽は安定しつつあるが、それでも先週から沈む個体が出始めた。スターダストがただのダストにならないようにしたいものだが。

風邪気味かと思いきや

寝不足だったらしい。昼間に眠くて仕方なかったのだが、昨日の秋葉原巡りで失った体力を回復するには睡眠が不足していたらしい。日中、眠くて仕方ないので「早退」ということで早めにパソコンから離れた。そして眠った。

息子はコロナのワクチンを接種して、少しだけ防御力がアップ。副作用もさほど出ていない。関係ないと思うが、湿疹が出てる。

秋葉原へ

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天気がいいので家族サービスということで、息子と秋葉原に行くことにした。何か見たことないものを見たりたべたりすることで、人はリフレッシュされるよね。まあ、しかし、たくさん歩いたせいで俺の足はかなりヨレヨレだ。

大手町まで半蔵門線で行ってから、郵貯のビルの中を抜けて、龍閑橋を渡って神田まで歩く。神田駅でサンマルクに入って、チョコクロワッサンをかじりながら、秋葉原まで。大手町から歩いて20分くらいだし、道もなかなか変化に富んでいて面白いので、そんなに遠くには感じない。

息子は早速、駅前のラジオ会館に行きたいという。行ってみた。オタクの聖地のようなビルになっていた。息子はそこでカードを買っていた。俺は古いゲームを物色して楽しんだ。古いゲームはやりたいけれど、遊ぶ時間が平日にはないんだよな。息子の将棋の相手にもなってやりたいし。持ち腐れるのが嫌なので買うのは見送り。結局、俺は秋葉原で何にも買わずに帰ってきてしまった。

秋葉原ドネルケバブを息子と半分ずつ食べた。

百年本舗というラーメン屋さんで中華そばを食べた。

 

フィギュアもたくさん見たが、好きでなければそもそも買わないし、好きであれば今度は自分のイメージとフィギュアの出来栄えの差分に不満を感じて、結局は買わない。

帰り道で部品のジャンク屋を見かけて今度こそ安いパソコンとかを買いたくなったが、我を取り戻して無駄遣いを踏みとどまった。

新宿経由で帰宅。龍が如くというゲームの舞台の神室町という町の、モデルになっている歌舞伎町をグルンと散策。広場でどっかの兄さんたちがケンカを始めていて、いよいよゲームの内容っぽかった。新宿はおっかないところと印象づいたかな。

 

ツマが足と手を揉んでくれた。とても楽になった。