風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

イカゲーム

Netflixで全世界一位だというイカゲームというドラマを見てみた。


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韓国モノは自分には合わないんだよな、と思っていたのだが、韓国版の「カイジ」のような感じでわりとなじみのあるストーリー。「零(ゼロ)」という漫画もあるのだが、そちらにむしろ似ているかな。

だるまさんが転んだ、というゲームで450人くらいいた参加者が射殺されて200人くらいに減ってしまう。その遊びのように見えるが実は脱落者は死ぬ、という話はわりと好きなのだが、作りが粗くてもう2話は見る気にならなかった。

だるまさんが転んだ、というゲームは動いたら負けな訳だが、映像を見ていて「ん?動いているか?」と思った。動いていないんじゃない?とも。問答無用で射殺されていくわけだが、ドラマを盛り上げるためにガンガン殺されていくのだけれど、動いていないのに殺されてたまるかよ、と参加者の気持ちで見ていて思った。

こうすればもりあがるよね、という発想で、非現実的なことをしまくるのは韓国ドラマの正義で、梨泰院クラスでもあちこちで「こんな都合のいいこと」と想ったのだが、今回のイカゲームも「盛り上げるために殺されてたまるか、動いてないじゃん」と想った。野犬を放つなどして、確かに動いてしまうよね、これは、という状況で納得のいく形でやってほしかったかなと想う。

やっぱり韓国モノは自分には合わないみたいだなと思った。

Fantastic planet


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Amazon動画で視聴したフランスのアニメ映画。フランスのアニメってなんとも渋くて不思議で気持ち悪いものが多いので、時々見かけては見ているのだが、今回も期待通りに不気味で切なくてなんだか不思議な映像体験をさせられた。

どこかの星で害虫扱いされている人類が、そこの星の主人である青くて赤い目をした大きな人類のようなものから知識をもぎ取り、そうしてやがていつしか反撃に転じていくという話だ。一体こんな星のどこが「Fantastic」なのか、と見ていて言いたくなるくらい、人類は迫害されていて見ていて辛くなるくらいだ。

最後の大オチで、なるほど、Fantastic Planet というのはこの物語に出てきた星ではなかったのかな、と思わせられる。じゃあなんだったのか、については、観てもらうしかない。

以前見た、ヴェルビルランデブーというアニメもフランスの作品で、やはりなんだか見ていて面白かった。ついでに予告編を貼っておく。


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やっぱり

国文学科を卒業した自分としては言葉の使い方が気になる。まえからずっと気になっていた、やっぱり、について書いてみる。

やっぱり彼は殺されてたのか、のように、思っていた通りという使い方もある一方で、やっぱりやめます、と、逆説的に使うこともあり、やはりとはどういう意味なのだろうと思っていた。気持ち悪いな、この言葉、と。

調べてみた。やはり、は、変化なく、が元の意味なのだった。やはり彼女は死んでいたのか、のように思っていたことに変化がない、という意味で使うことが本来のようだ。だから、やっぱり殺すのはやめようよ、のような使い方はもともとはなかったということになる。

日本語の副詞の中で一番わかりにくい副詞はこれではないかと思う。

やっぱりやめようぜ、の、やっぱりにかわる日本語が早く生まれますように。

アルゴリズム思考術

 

アルゴリズムというのはコンピュータの用語みたいなもので、こういう性質のものについてはこのように考えて取り扱うのが合理的だ、ということについて書いている。

最初の章は、秘書の採用についてを例にしている。

秘書を採用する際に何人と面接をしたらいいのか。もっといい人が出てくるかもしれない、という期待と、延々と面接をし続けるわけにもいかないと相反する状況でどのように考えたらいいのか、について数学的なアプローチも入れて解を出してくれる。3人まではとりあえず面接をして、それ以降は、これまでで最も良い人が出てきたらそれを採用する、というアプローチが数学的には最も合理的なのだという。これは駐車場問題(目的地からは遠いが駐車場は空いている、近づくにつれて駐車場は埋まっていく。どの辺で駐車してしまうのが合理的か)など、割と日常でもよく出てくる問題だ。

不確定なことで人生は満ちてきるので、そういうものに対して、このように扱うのがいいのではないかという話について、ソートについて、キャッシュについて、色々、書いている。キャッシュの話はなかなか有意義だった。次に使う確率が高いのは、直前に使った情報である、という考え方がCPUのキャッシュの考え方なのだが、俺が色々なメモを記録している One Note というメモツールでも「あれはどこに書いたかな」ということがしばしばある。これに即して考えると、いつ書いたか、で、ソートするのではなく、いつ使ったのか、でソートする方が検索目線で考えると有効だということになる。

なので自分は、One Note でメモを読み返したら、読むたびにその記事をOne Note のトップに動かすことにした。確かにこれで少し仕事の効率が良くなった。この方式は、この本でも書かれているが、野口悠紀雄の「超整理術」で封筒に書類を入れて、最後に使ったものは書類立ての一番右に置いておくルールが有効だ、としていた考え方と同じである。

ちょっとしたライフハックに詰まっていて、なかなか面白かった。

パキラきたる、そして午後から休暇

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部屋の隅に置いてみた。思っていたよりも背が低いし、葉の出方も横に広がっていた。が、文句を言うほどでもない。置いてみてから1時間もしたら何だか前からそこにあったかのような馴染み感。

 

25周年勤務でもらった5日分の休暇の2日目を使って、午後から休む。午前は出ておきたい打ち合わせがあったので仕方なく会議に参加。午後はヨナヨナエールというビールを飲んで、酔った頭で007のオクトパシーを少し観る。観ているうちに眠くなってきたので、酔ったまま寝てしまうという幸せにひたる。

あるお客様のところで、プロジェクトの計画の見直しが起きそうな事件が発生中。俺から見たら取るに足らない、軽い擦り傷のようなものなのだが、このお客さんは針小棒大の大騒ぎをしているように俺には映る。この件について何か緊急メールが来ていないが、寝る前にメールを確認。何も来ていなかった。俺の出る幕ないもんなあ、と、再び幸せにひたる。

パキラ

居間の一隅に空き地ができた。何もない状態も部屋がすっきり見えて気に入っているのだが、一度やってみたかった部屋に観葉植物をやってみることにした。8号の鉢にパキラという比較的生命力の強い、定番的な観葉植物を買うことにした。高さは1メートルくらいなので、まあまあの大きさだ。

風水的にはお金の増える木ということになっているが、どうなのかな。

 

毎日530に起きて弁当と朝ごはんを作って、息子が630頃に出て行った後でヨギボーで爆睡して、8時頃に起きてきて働く。そんな日々だ。800頃に目覚めた時にいつもしまった弁当を作らないと!と思う自分がイヤだ。

 

沖縄のボロボロ猫、ディノの来歴

 

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YouTubeで見かけてから、なんとなくずっと追いかけている動画。第10回目くらいまで公開されている。猫をかわいがっている沖縄県の人が、ある日拾ってきたボロボロの猫を保護して少しずつ、家猫らしくしていくまでの様子を不定期に(毎週1回くらい?)流してくれている。俺もそんなに猫が好きというほどではないのだが、まさに今どこかで生きている猫とそれを元気にしようと格闘している人がいて、まさにそこにはドラマがある。サスペンスがある。次第に猫は飼い主に懐くかもしれない。あるいは急死する可能性だってある。実際に起こっているノンフィクションの世界なので、そこにはなんの容赦もない。だから面白い。元気になってそうして飼い主に懐くところを見ることができたら、きっと俺はすごく感動すると思う。そうなるのを楽しみにしながら、しかし、不意に死んでしまうかもしれず、そうなることを少し覚悟しながら、今後どうなるのかはわからない、誰にもわからない。

スポーツなどを応援する気持ちと同じ感覚で、この拾われ猫のディノがどのようになるのかについて近頃目を離せない。

 

この動画の視聴回数には100万回を超えているものもある。約30万円くらいYoutubeから収入と入ったことを見込む。こういう形で手に入れたお金でまた猫を保護する、そしてそれを人々が見る、というサイクルは昭和の頃には想像もできなかったし、そうしてなんだかそこに健全なものを自分は感じる。