風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

フリンジマン

ドラマにもなっている。愛人を作りたいという野郎どもと、それを指南する謎の愛人教授が、どのように愛人を作ったらいいのかについて一方的に男性側から描いた漫画。こういう、どうやったら浮気ができるのか、について描いた漫画が普通に世の中に受け入れられているのが凄いなと思う。

結婚、というのは愛の結実ではなくて、ある種の便宜なのだという前庭のドラマが多くなった。昔から結婚はそういうものだったのかもしれないけれど、そこに光が当たり出したのは最近かなぁと思う。

恋愛を、異性とうまくいくためのゲームのように描いているのは、ラブホテルの上野さん、という漫画も同じこと。

技術やノウハウを駆使すればするほどに、相手への没入感は薄れていき、盲目感もなくなり、単なる作業になってしまうと思うのだが、そんな恋愛はつまらなくないか?

関係がうまくいくように工夫することが、愛情なのかな。そういうもんなのかな。

フリンジマンの愛人教授は、愛人を作るために大切なことしてこう言っている。

愛人を愛さないこと

愛人に愛されないこと

 

先日読んだLOVE理論という本の最初の章は、相手にのめり込むと恋愛は失敗しやすいから、かけもちすることを推奨していた。確かに相手への幻想に走りすぎて失敗するのはあまりにもよくあることだけど。うまく付き合えることよりも、いつでも相手のことを考えてしまい、相手の事が気になって仕方ない、あの熱病のような時間のもたらす陶酔感は、単に恋人関係になることよりも貴重ではないのかな。