戦後、本土でも沖縄でも基地周辺の住民が多数、軍用機の墜落で犠牲となってきた。
横浜市で1977年9月27日、米軍偵察機が住宅地に墜落した事故では、土志田(どしだ)和枝さん(事故当時26歳)と3歳の長男、1歳の次男の母子3人が自宅で全身やけどを負い、兄弟は間もなく死亡。和枝さんも4年4カ月後に死亡した。偵察機の乗員2人はパラシュートで脱出していた。
「お水をちょうだい。ジュースをちょうだい」。病床で苦痛を訴える全身包帯姿の長男は次第に衰弱。最後に「バイバイ」と言って息を引き取った。次男も「ポッポッポー、ハトポッポー」と父に教わった童謡を口ずさみ、兄の後を追った。
こういう、子供が死んでいくニュースを見ると涙が出てくる。
親になったからなんだろうか。いや、多分、前からそうだと思う。老人が死んでもあんまり悲しくないのは自分でもよくわからない。