不安や恐怖の実体

不安や恐怖の実体は、欲であろう。

なくしたら困る、手に入らなかったら困る、これ以上損をしたくない、得するチャンスを逃したくない、などなど表現にはキリがないのだけれど、どの不安や恐怖にも欲があるのは明らかだ。死にたくない、病気が治らなかったら、というつらい気持ちまで、欲として語るのには少し気が咎めるけれど、でもそれがなくなったら不安はなくなるという点では、同じように取り扱えると思う。

上司に悪く思われたくない

客に文句を言われたくない

などの欲が、これらが休職によって損なわれたらどうしよう、という不安を立ち上らせる。

小学生の頃から、優等生的に振舞うことで自分の自尊心を満たしてきたから、これらの欲をさっぱりと捨てるのは自分にとっては一苦労だが、それでも、ツライのは欲張りのせいなんだ、と、自分に粘り強く言い聞かせるのは意味があると思う。

ブログの読者に楽しんでもらいたい。

なんと欲深い自分。なんと欲深い自分。読者側ゼロになっても構いません。

 

悟り、というのはそれを超えた延長線上にあるようにも思う。大いなる受け入れ。

 

これは欲のなせる業だ、と、言っても物事そのものは変化しない。が、もういいよ、受け入れることにする、と脱力するときに、何か新しい化学変化が心に起こりそうな予感はある。