面談の時に彼は自分のプロジェクトの状況について何も語らなかった。どのフェーズで、過去にどの会社が来て、そして去っていったのか。始まった経緯、目指すところ。それらを確認しようとしなかった俺も悪かったが、ここで言いたいのはそういうことを全く説明しようとしない彼に、俺はちゃんと違和感を抱くべきだった。
彼は俺の品定めすることだけ考えていた。自分らが選ばれる、という視点が全くなかったのだ。俺はそのことについて警戒心をもち、さらに言うなら不信感を抱くべきだった。
問題は、目立たないかたちで、時々その芽を見せているものだ。
あんなプロジェクトには行きません、という知恵と勇気があの頃の俺にはなかった。
その頭ごなしの高圧的なやり口に、今回の俺は参ってしまったわけだ。相手がおかしいと思う前に、まずは自分を疑ってしまった。この俺の考え方のクセが、今回のような少し異常なお客さん相手の場合には最悪のかたちで、ダメージをおれにあたえることになった。
彼は単身赴任で朝の700にひとりでオフィスに来て働き始める。他に誰もいないのに。そして2200まで働いている。そんな毎日なのだ。愛社精神? わからないが、似たような仕事の仕方を強いる時点で、この人の頭を疑うべきだった。いや、疑ったのだが、どうにかやっていけると考えた自分が間違っていた。
チームにはインド人が2人。新参者の自分には何が何やらわからない。
今にして思えばこんなことを教えてもらっても意味がないようなことを聞いた。もっと根っこの部分から聞くべきだったのだろうけれど、俺も軽いお手伝い的な気持ちでいたので、そこまで知る必要はないかと錯覚した。
教えられることだけわかれば、なんとかなるのだろうと。
俺が来たら入れ替わるようにプロジェクトマネージャーの人は病気を理由に去った。代わりにカタコトの日本語を話すインド人が来た。
お客さんがインド人に命令して、そのインド人が俺に仕事を押し付けるようになった。もはやスケジュールも、キャパシティも、優先順位も、何にもなかった。
どうやったらいいのかわからず、何からやったらいいのかわからず、ただ、仕事が積まれていった。30人くらい同報されているメールで、俺に仕事が振られたことが共有されて、プレッシャーを感じた。
ひとりぼっちでランチを食べて、少し動かしては、謎のエラーとの戦いをした。何時間かやっても仕事がまるで進まない日もあった。
いつできるんだ、優先順位はどうするんだ、と、プロジェクトマネジャーが責めてくるようになった。お前が管理しろよ、と、俺から言ったけれど、結局、彼の能力がそこまでに至っていなかった。
それとは関係なく、散発的にお客さんからは質問が毎日のようにやってきた。
こんなもん俺にとってはプロジェクトではなかった。カオスだ。昼ごはんを食べながら、泣きそうな気持ちになっている自分がいた。追い込まれているな、と思ったら。オフィスでマウスを握ると緊張で手汗が出て、マウスがベタベタになった。
このプロジェクトは親プロジェクトの一部なのだが、親の方の日程計画の延長をすると言うことで、もはや計画も見直し中となり、遅れているのか、それはどれくらいなのか、もう誰にも説明不能だった。
もう一つお客さんからはトラブルに対する火のような催促で、俺はゆとりを失った。
やがて、眠れなくなっていた。