人々、そしてやがてくる死

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また3時半に起きてしまったが、手のひらや足の裏に汗はかいておらず。更年期によるものか、それとも昼間に頭痛だったので少し寝たのだがその影響なのか。

ボンヤリした頭で、嫌だなあと思っている仕事について考える。仕事が嫌なのか、仕事の相手が嫌なのかというと、相手の方だよなと思えてくる。相手の人間が嫌なんだよな、と、考えたらなんだか胎児の画像を見たくなった。そしてこの画像を携帯のロック画面にしてやった。

みんなかつてはこれだったんだよな。偉そうにしていても、うるさくいう人も、みんなこれだったのだ。

もちろん俺も含めて。

そうしてすなわち誕生したということは、やがて滅んでいくということでもある。無常こそ人の一生。こうしてうつろい変わっていくことが本質ならば、過去を悔やんだり、未来を不安に思うことの意味がわからなくなる。常に変わっていくのだ。常に変わっていくものに対して、過去や未来と切り分けてみることに意味があるだろうか。未来と呼んでいるものは、やがてくる過去であるし、過去はかつて未来と呼んでいたものそのものだ。

何もそこに残らない。

自分の老いや親の老いを恐れたりするまい。もともとはこんなプヨプヨしたものから、始まった物語のクライマックスが訪れただけのこと。

不快なことをしてくる世の中の人についても、以下のように思えまいか。

もともとはこんなプヨプヨしていた者たち。そして滅びゆくまでの途中にて、俺と接触してしまったのだ、と。世の中の人はみんなもともとはこの写真のようなものなのだ、かわいいじゃないか?大したことないのではないか。

などと考えているうちに朝の500になっていた。