風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

適応障害を超えていけ

病院には1月いっぱい休め、と言われたのだが、なんやかんやでこうして普通に働きつつ、1月をもうすぐ終えようとしている。1月も家でのんびり過ごせたならば、どんなにか楽だったろうとは思うが、サボりぐせがついてしまって仕事から心が遠のいてしまっていたかもしれない。仕事を続けていたのは、多分、俺にとってはプラスだった。

会社の仕事を家でやるときも、少しの負担にも心が折れそうに思えたので、波の音のCDをかけて少しでも心を癒しつつ、会社のメールを読むようにしていたものだ。積極性というものの対極にいた。

良くなったとはいえ、まだ少し、冷たく鋭くなっていた神経は以前のようにはなっていない気もしており、空の色や、人の気配、食べ物の味、そういうものに対して神経が少し鋭くなっているような感じがする。前からこうだったかな、と、思うようなことが時々ある。

傷跡が疼くように、脳の病気にも後遺症のようなものはあるのかもしれない。

 

自分を感じられずに闇の中で風呂に入って、呼吸を感じることに集中していた日々のことはまだ忘れない。拠りどころの希薄な心細い時間だった。ああいう目にあうこともあるのだ、と、学習してしまった心は、やはりそれより前には戻らないのかも知れない。