風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

5時に目覚めて

特に手足に寝汗もなく、自然に5時に目が覚めて、朝風呂に入るという贅沢を満喫。それでもまだ夜明けまでは時間があるので、闇の中で、自分の人生について考える。

昨日、母親がオレにとっておいてくれた、小学生の頃の絵が、部屋の整理をしていたら出てきた。こんなもの描いたかな、と、ほとんどが思い出せない。そういうものはもう捨てることにした。知らない人が描いたのと同じだからだ。だが、まれに描いたときのことを思い出させてくれるものがあり、そうしてオレの記憶がその絵をだいぶん補正していたことも分かった。そういうものは残しておくことにした。

人は自分が信じたいものを信じる。

信じるべきことが外からくるのではなく、すでに信じたいことがあって、あとは外からそれを裏付けるものを選んでくるのだ。

認知は具象化した欲望なのだろう。

思い出が美しいのは、思い出には美しくあってほしいから、なのかもしれない。毎日をあくせくと生きている中で、その日をそれほど美しいと感じることは珍しい。しかしそれも時が経つと微温を孕んだ、柔らかな思い出になるのは、脳味噌が記憶に煌めく粉を振りかけるからであろう。脳の美化する力に身を委ねて、悪くない人生という物語に心を預けながら、あの頃は良かったなあと存分に浸ることにしよう。

こうしておけば、こうしなければ、と、悔やむ記憶もある。けれど、そこにもそうした魔法がかけられているが故、だと、その当時はそのときなりに懸命に生きていたはずの自分を、少し擁護しておこう。その後悔もまたきっと美化されているから、割り引いて悔やむように、と。

それから今日のこれからもまた、この先の思い出の大切な素材になり得るのだと、そんな眼差しで朝日を迎えたい。