なるほど、老人に近づいてくると、何しろ生きる年月が少ないし生活も少し落ち着いてくるので、勉強しようという意欲が減退してくる。目も見えにくくなるし、ものの覚えも単純なものだとなかなか頭に入らなくなってくる。それゆえなのか、週末の過ごし方もテレビゲームなどで息子と時間を潰すような、まさに無為、と言いたくなるような過ごし方になりがちだ。いつの間にやら、パチンコには一切行かなくなったし、行きたいという気持ちもなくなった。
週末や休日の過ごし方はおもに家の掃除という感じになってきているのは、掃除はやる前と後で明確に結果が変わるのと、やったあとで気持ちがいいからだ。料理も割と好きだ。だが、勉強っぽいことにはどうも熱意を感じにくくなっている気がする。これではいけないな、と、思うのだけれど、何のために学ぶのかという問いはまさに年寄りのためにこそ重要な問いなのだとわかってきた。仕事に行って帰ってくるだけなのなら、もう週末などに鉛筆舐めたり、理解しにくい本にむきあって頑張ったり、そういうことも必要ないわけなので。
老人になってくると、いろいろなことへの欲が減退してきて冷静さが高まってくる。
そう、冷静さを失わせるのは、欲のためであり、欲がなくなれば恐怖も自然になくなってくる。
体がいうことを聞かなくなってくるのだけれども、心がいうことを聞くようになる。
これが老化というものなのか。
若い頃は知識欲も旺盛でいろいろと知らないことはどんどん知りたいという気持ちもあったが、今は、なにかを学ぶのであれば、それはなぜなのか、何のためなのか、ということも書き添えないと体が動かない自分になってしまった。