大学で出た授業に記号論というのがあって、大層面白かったのに、なんでちゃんと毎回授業に出なかったのか悔やまれる。
その中で、情報とはなにか、という話があってとても気に入っているのでここに書く。
それがあることで、
なかった場合と比べて
行動に変化が生じるものを
情報
と呼ぶ
ウクライナの今日の空模様は情報ではない。
韓国のスターの自殺も。
でも、東京の夜の天気予報は情報だ。
本当に情報と呼べるようなものは、身の回りにはそれほどないような気もする。
それから、単なる、意味の連なりを、情報に格上げできるかどうかは、聞き手の態度によって変わると思っていて、クックパッドで見たレシピを無視すればそれは情報ではなく、それに従って何かを作ってみようとすれば、それは情報になるわけだ。
どうでもいいような音声や映像にさらされる広告社会を生きている我々は、情報麻痺を起こしがちだと思うので、行動に変化を与えないようなものは、少なくとも価値ある情報とは言えない、と、意識的に心に入れないことが大切なように思う。
という、この記事は、読み手にとって情報となり得たのだろうか?