面倒について

面倒というのは、言葉としては、起きたり、生じたりするもので、性質として始めからあったりはしない。面倒があります、とは言わない。面倒が起きた、という。

面倒というのは、性質として、手が焼ける、手がかかる、煩わしい、鬱陶しい、などの扱いに手間と時間がかかることを言うわけだが、これらにさらにある心情が含意されているところに味がある。

つまり初めはそうではなかったのに、何かの理由で後付け的に何かが加わって、上に挙げたような状態に変質したものを、面倒と呼ぶのだと思う。

だから、面倒くさい、という言葉には本来ならやらなくていいはずなのに、という気持ちが裏に必ず控えているだろう。

面倒くさいと何かについて想うとき、どうしてやらなくてもいいはずと思ったのか、について考察すると面白い。あってもなくてもいいようなことに時間をとられている、と、思っているはずで、それなのに何で自分はそれをすることを選んでいるのか、についての解が見つかったなら、それはもう面倒くさいものではなくなっているはずだ。

 

などと、こんな面倒くさいことを考え始めたのは、年賀状を書かなくては、と、思い起こしたのがきっかけだ。