風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

あの夏

仕事が終わると大阪支社に戻って、どうやってプロジェクトを立て直したらいいのか、についての会議に2時まで付き合わさせられて、そうしてタクシーでホテルに戻った。そして3時頃に就寝して、朝の8時には起きて朝ごはんを食べて仕事に出て行く、というのを一週間くらい繰り返した。

そんなある日、事務所に行く途中で妙に腰が痛い。荷物の持ち方が悪かったか、と、思いながら歩いたのだが、歩くたびに痛みが増す。運動不足のせいか、と、思いつつ、なんとか事務所に着いたのだが顔色が悪いと言われた。蒼白だと。トイレにいってみて、そしてその場に倒れそうになった。トイレに倒れるのは避けたいのでこらえて、そしてタクシーに乗って救急病院に行った。

誰かがタクシーを呼んでくれたのだろうけれど、覚えていない。

死ぬかもな、と思った。

タクシーの中でヨメに電話した。病院に行きます、と。ヨメは何だか呑気なかんじだった。俺の痛みは俺にしかわからないから仕方ないか。死を覚悟しての電話だったのだが、なんだか気が抜けた。俺がこのまま死んだらヨメは悲しいだろうな、と、暗く考えているうちに病院に着いた。誰がこの病院に行くといいよ、と調べてくれたのかも、今となっては覚えていない。が、誰かが確かにいたはずで、今にして思うと本当にありがたいことだと思う。

尿道結石という診断で、看護婦さんが薬をくれた。窓の外の緑をベッドに横たわりながら眺めた。

タクシーに乗り大阪近くの駅で新幹線に乗った。新幹線の中で痛くなったらと思うとゾッとしたがそれは起こらなかった。ありがたかった。

 

無事に帰宅できたが、やはり腰のあたりに針で刺したような痛みは時々やってきた。

寝る時に、痛みがやってくることがあった。あまりの痛さに床を蹴るのだが、蹴ってばかりいるので、頭を中心に時計の針のようにくるくる回って、痛い、痛い、と、脂汗をかいていた。人生で最も痛かったのは歯痛だったが、尿道結石はその記録を塗り替えた。

 

35歳くらいの夏の日のことだ。

今のプロジェクトは相当に苦痛なのだが、あの頃を思い出して比べてみたら、まだまだかなと思ってみたりする。

 

尿道結石はいつの間にか治ってしまったので、大した大きさではなかったのだと思う。

そんなわけで自分は今でも大阪の街が嫌いだ。