風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

歴史あり

適応障害でさめざめしくて頭もまぶたも重かった頃、携帯電話にこれまでの人生で辛かった瞬間を思いつくままに書き込んでいた。

読み返してみた。

あー、あれは嫌だった、そういえばあれも苦しかった、と、思い出させられる。

これを読むことの意味は、あんなに色々と追い詰められたというのになんだかんだで今こうして暮らせている、ということを見つめて、自分の勇気と元気を取り戻すのを後押ししてもらうということにある。

意外と忘れてしまっている、というのも、面白い。あんなにつらかったのに忘れてしまっていたな、と苦笑する。過去の大きな痛みは、単なる物語になってしまうのかもしれない。今の痛みがとにかく全てだということか。そして今の痛みも、なんやかんやで過去になっていく。

 

もう一つリストがあって、これには逆に頭にドーパミンが出たような、びっくりしてうれしかった瞬間のことを書いてある。

これも読み返すと、俺のようなものにもこんな輝いていた瞬間があったのだった、と、温かくて厳かな気持ちになる。優しい匂いだし、美しい音楽だ。俺の人生には意味があったな、と、思い直させてくれる。今は怒られてばかりだし、色々自信をなくしたりしてるけれど、失敗もたえないけれど、こんな風に輝くこともあったのだ、という心持ちにさせてくれる。

 

このブログに迷い込んでこの記事を読んでしまった方々にも、この2種のリストを作ってみることをおすすめしたい。40歳を過ぎてる人に特に効果があると思います。