風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

期待レベルをあげない

うちにも家訓のように掲げていることがあって、それは無理をしない、ということだ。頑張るとか、努力するとか、そういう方面と真逆の方角を向いている。どうして無理することを戒めているのか、ちょっと語ってみる。

1.無理すると反動がある

わかりやすいと思う。無理に食べたらお腹を壊すし、無理に徹夜で勉強したら体調を壊す。持てないほどの荷物を持てば、荷物を落とす。無理やり旅の計画を作るとアクシデントがあるとすぐに破綻する。

2.無理をすると怨みが残る

こちらが今回書きたいことで、無理して勉強するとその勉強の中で、これだけ頑張ったのだから、という期待レベルをあげる毒が心に混ざりだす。報われたいという心が。無理して何かをすればそこには、報われたい、という欲が必ずついてくる。そしてそれが報われることもあるが、そうでないこともあり、その時に、無理をさせた人や状況に、無理をしてしまった自分に怨みを抱いてしまうことがある。怨みを抱えた人生はつまらない。

 

あんなに頑張ったのに、という思いを抱くほどは頑張らないほうがいい、と俺は思っている。

 

でも、ぬくぬく、ダラダラしていても、人生は腐っていくのでどのくらい人は物事に挑んだらいいか、について考えないとならない。

楽しめるならやる。

楽しめるようにやる。

この指標が大切だと思う。

何かの研究に没頭しているうちに徹夜になるのは、そこに期待はない。期待は未来に対するものだが、楽しみは現在起きていることだからだろう。

大荷物を運ぶのも運びやすいように工夫する遊びだと思えれば、あとで報いられたいとは思わなくなる。

俺は仕事するのが嫌いだし、学校の勉強も好きではなかった。でもやらないとならないので、大抵、好きな音楽を鳴らしている。音楽を聴きながら仕事をしている、というよりも、音楽を聴いている、そしてその間に仕事もすすめている、という感覚でやっている。そのあいだに何か成果が残れば、仕事も少し楽しめる。

楽しくすること。楽しくやるにはどうしたらいいのか。

俺の父親はゲーム化してタイムアタックのようにして仕事や勉強をするといい、と言っていた。そういうのもあるよね。