風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

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息子が「学校に行くのがつらい」という。

今回のブログはここから始まる。

学校の先生にその話をツマがしたところ、中高の6年間で中学1年の5月頃がもっとも「学校に行きたくない」頃なのだという。新鮮さの中にある興奮も落ち着いてきて、どんなものかについての距離感も見えてきて、幾らかの慣れの中に失望も混じりつつ暮らしていく日々。コロナ禍のせいでクラブ活動も学校イベントも自粛されて、本来だったら色々な刺激があったはずなのだが、それもおあずけだ。

それに毎日5:10頃に起きてきて学校に行く準備をするというのは、なかなか体にとっても負担なはずで、朝起きて学校に行きたくないというのは、夜の11:00過ぎに布団に入って眠る暮らしをしていては厳しかろう、ということで少し生活リズムを改めようということになった。起床時刻を変えることはできないので、せめてということで就寝時刻を早めて10:00には息子は布団に入るようにした。

そして10:30に息子が布団に入ったので、俺も11:00くらいに就寝した。

電気式のバスの運転手になって道を走っているとバスで異様に道が混んでいて、交通整理をしている人に、どんどんバスを流していくようにと怒られる夢を見た。夢の中で、頭から血を流して倒れている老人を拾って(拾った時には自分はバイクを運転していた)、これが原因で道が混んでいたのか、と思った。死んでいる老人を拾った(片付けた)つもりだったのだが、老人は実は生きていて、何かを語りかけてきた。ん、これは救急車か、と思ったとことで目が覚めた。

楽しみにしていた6月の大型の休みが取れないかもしれない、或いは取れるとしても色々とすったもんだするかもしれない、という仄めかしも、なかなかストレスだったようだ。変な夢で目が覚めてからも、なんだか眠くならなかった。しかも俺の部屋の網戸は破れていて5階なのに蚊が入ってくるのだ。耳元でうるさい。眠りはしたが眠りの質は最悪であったろう。今はこうして起きてPCの前に座っているのだが、蚊に刺された手の甲をかきながらである。

さて、無理矢理に休暇を剥奪されたならどうしてやろうか、と、横になって暗闇の中で考えたりする。他の部署に移動しようかな、とか。別の会社で働くことにしようかな、とか、なんとしてでも休んでやるぞ。まあ、まだ仄めかし、打診、様子伺い、という感じだったので、あまり極端なことをするつもりもないし、したくもないのだが、そういうことも心の準備として持っておかないといけないかと思ったりする。夜中に目覚めてしまって闇の中で考えることは、日中に考えるよりもずっと切羽詰まった感じになりやすい。

一体、今何時なんだろうか、と考えて、なんなら布団から出てしまった朝ご飯の準備でもしようかと思って時計を見た。唖然とした。

3時45分だった。

深夜じゃん!

早めに寝てしまったことが祟ったのか、それとも・・。