風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

自分以外の何かのため

「夜と霧」という本では、アウシュビッツでひどい目にあったフランクリンという人が心をどのように保って奇跡的に生還したのか、について書かれている。彼が心を病まなかった一つの理由は「この経験を本にして歴史に残そう」と、自分のひどい目にあっている意義や意味をそこになんとか見出すことができたからだ。精神科医として、自分の心の動きをしっかり貴重な体験として残していこうと。

 麻雀には「さし馬」という賭けのルールがある。この人が勝つのに賭ける、というやつだ。差し馬として指名されると緊張する。けれど、負けるとこの人に迷惑がかかると思うと集中力がさらに高まってくる。やる気が出てくる。自分だけのため、ではなくて、誰かに期待されているのだ、と思えると少し余計に頑張れる。

 仕事には理不尽なことばかりで、人が作ったソフトを、その人の代わりにお客さんに説明して、そして問題が起きたら自分が怒られる、という俺の立ち位置。なんだかつまらないな、と思ってしまう事もよくある。もっと楽しい仕事があるのではないかとも。そういう時にも、この仕事をやり遂げてもっと製品に詳しくなって、お客さんを助けてあげられるようになろう、とうまく自分の気持ちを誘導できれば、そういう時には、少しやる気が出てくる。いつもそんな風にうまくいくとは限らないけれど。

 スポーツ選手はどうなんだろう、個人戦団体戦で意気込みは違うものなのだろうか。

 一人で暮らしている人も、自分の生きている意味がなんだか透明になっていくのが辛くて、ペットを飼ったり植物を育てたりする。

 人の幸せは人に何かをしてあげることだ、と、ボーイスカウト創始者のベーデンパウエルは言っている。人に何かをしてあげられない人生は悲しいので、だから、人は勉強したり努力したりして、何かができるようになる自分を目指すべきなのだと思う。学校の勉強をする意味は実はそういうところにあるのではないかな。

 自分のために朝5:30に起きて弁当作りをする方がつらい。息子のために起きるのに比べれば。息子のためだと思っているからこそ、なんとか布団から出てこられるわけで。

 だから、仕事で人を喜ばせてあげられる自分でいたい、という気持ちを仕事に対して保てるうちはまだ大丈夫。もうこんな人たちのために働きたくなんかない、と思い始めたら、もうその仕事から早く手を引いたほうが心のためだと思う。こんな人たちのためになんか頑張りたくない、と客が大嫌いになったのに、それを押し殺して無理して一ヶ月間働いた時に、俺は、適応障害になったのだった。