風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

墓参り

ツマはツマの父親のお墓参り、俺は俺の父方の祖父母のお墓参りにそれぞれでかけた。息子は学校行事で上野からたっぷりと歩く。天気が良かったのがよかった。俺は今日も早く起きて朝ごはんの準備をして、息子を送り出した後は布団で爆睡。ひろゆきも、テストステロンというペンネームのツイッターも、睡眠は死守しろと言っている。ホントに眠いのに頑張っている時は、悲しくてやりきれなくなるのに、寝てみると頭も冴えるし気持ちも前向きになる。どんなに人に嫌われようと出世が危うくなろうと、人を怒らせようと、睡眠時間は確保だ!

で、渋谷までツマと出ていき、西武デパートの活、という回転寿司の店で舌鼓。死んでいた神経が蘇るような、枯れていた水路に水が流れるような、そんな感覚だった。ここの寿司は好きだ。

驚くほどにプロポーションのよい美女を二人見かけた。8頭身ているんだな。本当に。

ツマとは別れて、それぞれの墓地へと。

 

何度も来ているお寺への道を間違えるわけはなく、すんなり着いた。そして、記憶を頼りに、爺さんと婆さんが埋まっている場所に行ってみる。

違う名前が石に書いてあった。

あれ?こっちかな、と、隣の路地を歩いてみる。なんか墓を潰したような跡。んー、まさかうちの墓ではないよな。関係ないよな。首を傾げる。ウロウロと10分くらい墓地を歩く。墓が見つからない。まさかの事態である。誰ともすれ違わない。俺の他には誰もいない。日はまだ高い。がむしゃらに歩くと同じところに出てきて、おや、また会いましたね大野さん(の墓)、となる。思いがけないところで行き止まりがある。引き返す。

足元が良くない。時々、石の凸凹につまづきそうになる。墓というのは何でこんなに似ているのかと、変に腹が立ってくる。そして名前は読みにくい。歩いても歩いても見つからず、どこかで救急車のサイレンが鳴っている。どこに行ったのか、ご先祖の墓よ。墓の場所を覚えていない、自分の罰当たりも情けない。

誰に聞いたらいいもんか、お寺の人に聞けば教えてくれるだろうが、墓参りに来たのに墓が見つからない、なんて、できれば言いたくない。恥ずかしい。もう、こうなったら似たような名前の人の墓に花だけ供えて帰ろうか。

 

最後の手段で実家に電話。俺の母親が出た。墓の場所がわからない、と、いう。電話でガイドしてくれるけれども、どうもそこにも見当たらない。

 

結局、お墓を掃除してくれているお寺で働いている外国人の女性が、どうしました?と助け舟を出してくれた。こういう名前の墓の場所わかりますか、と、藁にもすがる思い。見た覚えがある、と、一緒に探してくれる。この辺で見たような、というところまできた。そしてありましたよ、ご先祖さまのお墓が。そういえばここは通ってなかったか。ありがとうを浴びせまくる。

 

花を備えて水をやる。

ドラマのように墓に話しかける。息子は中学受験受かったよ、株取引はいまいちだよ、みんな大体元気だよ、弟は群馬に家を買ったらしいよ、仕事はつらいよ、などなど。墓石はあたりまえだけれど黙って話を聞いてくれる。こうしたらいいじゃん、とか、言ってこない。それが逆によい。

写真とか、無機物に語りかけるのはドラマだけかと思っていたが、ただただなにかを言いたいときにはこう言うのもいいのかもな。仏像とか、飾る人の気持ちが少しだけわかった。レンタル何もしない人、の需要があるのも。