風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

人に必要とされること

いろいろなツラい状況ってあると思うが、正心的に最もツラいのは、自分のことを、誰も自分を必要としてない、と思うことだと思う。

だからペットを飼うことは癒しになるし、ボランティアに申し込む人がいる。

誰かに必要とされるように人は勉強したり何かの訓練をしておいた方が良いし、親が何かしてくれる時にはそれを断ってはいけない。ありがとう、と受け入れるべきだ。

子供が何かしてくれた時はなおさらだ。

一日中、誰も来ない店の店番はつらい。だから、仕事が忙しいのは、本当は幸せなことのはずなのだが、あまりに忙しいのは、誰も自分を守ってくれてない、という気持ちになり、違う意味で、誰も自分を必要としていない、という気持ちになるから、ツラいのだけれど、私はもうやりませんと言って、なんとかならないこともない。

誰にも必要とされていない感覚にさいなまれてきたら、誰かに認めてもらおうとするのはやめて、勝手に人の役に立つことをするといいと思う。

家の周りを掃除するとか、公園を掃除するとかだ。

身体を動かすのは精神に良いのでオススメだ。

 

子供に小さいことを頼んでやってもらって、大いに喜んでみせることは、子供に、自分が必要とされていることを教えるので、大切だと思う。やらせ過ぎはまた違う問題が出てくるけれど。

家の掃除が趣味かよ、と思うくらいに掃除をよく頑張る俺だけれど、一人暮らしの時よりもずっと良く掃除していると思う。料理も子供が出来てから、なおやるようになった。

自分以外の誰かの役に立つ、と、思えると、それが動機になるようだ。

 

少し脱線する。

異性を自分に依存させるようにしていく手管として、相手に小さいことを頼む、というのがあるらしい。お願いされてやってあげると、自分が必要とされていることをうれしく思うからだろう。あと、認知協和のために、やってあげたのは自分が相手を好きだから、という意識が生まれてくるから、ということもあるかもしれない。

なんでも自分でやれる人は重宝されるし、便利だと喜ばれる。

人に何かを頼むのがうまい人は、愛される。