ついに布団に入っても眠れない夜を迎えた。旅館の布団や枕、或いは室温が合わないのか、それとも食事前の仮眠が効いたのか、たっぷりと湯船に入ってしまったので身体が温まりすぎたのか、とにかく眠れない。少しうとうとしても、また起きてしまうというのを繰り返して、また午前4時を迎えてしまった。くつろげてないんだろうか、自分。
よくわからないが、どうせ眠れないのなら、と、神様だかなんだかわからないが、こうして生きていることに対して、ありがとうございます、と、感謝してみることにした。
昨夜は線を引くことについて考えた。物事に対して、どうにもできない部分についてとらわれるのはやめにして、どうにもできる解釈の部分に心を向けよう、とか、ブログに書いた。
その解釈の部分については、少し考えが発展。
いっそ感謝しながら、闘う心は持たずに明け渡してしまえたら、楽になるのではないか。
窓の外では急に風が強くなっていて、無事に予定通りに住んでいたところに帰れるのか、危ぶまれるような風の音だ。窓の外を見てみた。風の音は鋭いが、降雪は認められない。なんとかなりそうだ。
こうなったら、眠れなくなったことに感謝の気持ちを持ち、神さま、ありがとうございます、この今夜の不眠も、こうして健康に生きていることの幸せに気づくための贈り物だと思うことにします、と、して、受け入れることにした。
眠れない、というのは線の外側からきた事象で、もうどうにもならない。でも、それを哀しんだり怒ったりするか、それを感謝しながら受け入れるか、の自由はあるし、それを手放してはならない。
昨夜は父の肩を揉んでやり、母の腰をさすってやることができた。ありがたいことだ。
何がダメだ、と、減点する考え方に俺の心はすっかりいつの間にか毒されている。注意されないように、怒られないように、人に迷惑をかけないように、などなど。こんな夜も、寝れなくてはダメだ、と、自分を追い込んだら、ますます苦しくなるだけだ。
こういう心のくせを、どう直していくのか、が、これからの俺の人生の課題なのかもしれない。