こんなに寝れなくて苦しんだ夜は記憶にない。布団が硬いからか、度を越した長い入浴で身体が温まってしまったからか。窓の外では、時折、風が強く窓にぶつかってくる。吹雪だろうか、雪に閉じ込められたということはないのか、などと心配になり、窓の外を見た。雪が舞っている様子はない。
昨日のように4:00になってから、朝風呂に行くこともできるが、すこしでも寝ておきたい。心によぎった事柄をブログに書いて、眠気が俺に訪れるのを待つ。寝たり起きたりの繰り返し。
ツマは朝風呂に行った。
俺にはようやくの眠気がやってきたが、8:00近くなっていた。朝ごはんのために布団から出た。
朝食の後、旅館の周りを散策した。雪が残っており、滑らないように気をつけながら。ツララがあちこちの宿にぶら下がっていて、長さ1メートル以上のものも多い。
写真を撮り足りないとツマは感じていたらしく、ここぞとシャッターを切った。息子はコンビニで、念願のミニミニ将棋盤をゲット。宿に戻る。
足先が冷たい。
ロビーを温かくしておくことは出来なかったか、喜びの宿高松。コロナ対策と称して将棋盤の貸し出しをやめたり、布団が硬かったり、ゲームコーナーとお土産コーナーは死んでるし、あちこち端っこの方が行き届いていないお宿、という、少し悲しい印象。お風呂と食事はとても頑張っていた。そこで力尽きたか。
ともあれ11:20に送迎のバスが来て、草津のバスターミナルへ。そこからJRのバスにて、長野原草津という駅へ。
何もない。売店がない。
駅の隣にあるお土産センターのようなところが閉まっているので、お昼を食べたり、弁当を買うこともできない。人で駅はあふれている。すごい商機があるわけなのだが、見過ごしているJR。ここにもギリギリで回してある感が滲む。
あきらめて、お土産に買った温泉まんじゅうとお茶、自販機のコーンスープでひもじくなってきた腹を満たした。草津2号にて上野へ。旅も終わりだ。面白いことを体験できた。眠れない夜は苦しかったが、夜中に考えたことは、ときどき思い出して生活の中で使えたら良いなと思う。
上野で一族解散。
父親の肩や腰を押してやれたこと、母親の腰をマッサージしてやれたことを、ありがたく思い出しつつ。
大井町のトンカツの名店、丸八トンカツで、昼ごはんが食べられなかった恨みを晴らす。相変わらずの美味しさに満足。
いよいよ俺の眠気も限界。
帰宅してから息子と将棋。眠いせいもあるが、研究の量も違いすぎて、いよいよ差がつくばかり。それでもなんとか遊び相手になっている感じ。とうとう俺も将棋の本を自主的に一冊買ってしまった。
息子は、将棋をモチーフにしたラブコメ、それでも歩は寄せてくる、をお年玉で全巻そろえるのだという。
通常運転にむけて少しずつ、心の切り替えをしないとならない。朝の5:30に起きて弁当を作ったり、今は仕事に慣れてきてワクワクがなくなってしまっている。そこへきて苦手な人と働いているので、モチベーションが自然には湧いてこない。
ツマは、辞めると決めて、そして、そのように伝えてある職場に明日から1ヶ月ほどの出勤である。去りゆくと伝えてある職場への出勤は、周りも自分もなんだか居心地が悪く、こちらも新しいことを覚える動機もなく、しかも悪いことに今回は引き継ぐ相手もいない。何だか不安をモヤモヤと漂わせたしたままで、1ヶ月働かないとならないのは憂鬱であろう。ここにも、草津で感じた、うまく回っていない、という雰囲気が漂っている。
でも、嫌で嫌で仕方なかった職場でもあるので、そこから去っていくことができる、と明るい話でもある。惜しまれての退職である。クビになるよりもずっとよかった。あと何回、出勤したらおしまいだ、と指折り数えてもらいたい。
次の職場はきっと今のところよりは、働きやすいのではないかと思う。残業手当もなく、ちゃんとした引き継ぎもなく、聞いていて可哀想な職場環境だったので。
俺は俺で、長い休みのお陰で休み癖が身に染みてしまい、仕事したくない病を絶賛発症中だ。働き始めたら意外とすんなり切り替わるだろうことは経験からわかる。が、切り替わる時の苦しみを小さくするため、心の準備を始めようと思う。中の綿を抜かれた、ぬいぐるみのように、シワシワになって床に落ちているような今の俺なので。