風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

やるべきこと、そして、やりたいこと、そして脱線

「普通がいい」という病、という本について、すでにブログに書いたが、その内容について改めて我が身に寄せて考えてみた。

心には、本当の心と、偽の心があって、頭で作り出した「やるべきだ」「やらなくては」は、心のように見えて、それは思考が生み出した、過去や未来をもとにした偽の心だ。一方、「やりたい」は自然と自分の内側から染み出してくる、現在のイマココをベースにした、本当の心だ。

偽の心をベースにした活動は、我慢して自分に強いているので怒りのようなマイナスの感覚が蓄積される。本当の心はないがしろにされると調子を崩し、時には腹痛やだるさのような身体への不調を引き起こす。

その辺の話がとても俺の感じていたことを、わかりやすく整理してくれていて読んでいて興奮した。

 

家の掃除は、やらないとならないことのように見えて、やりたいこと、かな。

年賀状を作るのは、なかなか面倒くさいのだが、どう作るのかを考えるのが楽しいので、やらなくてはならないことの中に、やりたいことをうまく埋めることができた感じか。

このブログは頭の整理と気持ちの整理に書いているので、更新しないとならない、という言い方を自分でするけれどやりたいからやり続けている。

子供の弁当づくりは、新しいおかずに挑戦する余裕のある日は楽しい。とにかく弁当を完成させようとしている日は、やっているうちに少しストレスを感じる日もある。

年賀状や弁当のことから、そこに創造的な部分を入れられるかどうか、そして気分が向いているかどうか、が大切みたいだとわかった。

 

で、会社の仕事のこと。

気分が向かないときもやらないとならないのは仕方ないとして、創造的な部分をいかに組み込むのかを意識してみようと思う。

資料作りは結構創造的なんだよな。なんで、つまらなく思えて来たのだろう、と少し不思議に思った。

 

そして、気づいた。

これ、彼のせいだ、と。

 

一緒に仕事している人がネチネチとアラを見つけてきて、自分の自己承認欲求の養分にしてくるので、何をやってもダメ出しをされているうちに、何だかつまらなくなってしまったのかもしれない、と。

一緒に働いている人のやる気をなくしていくなんて、なんで最低なんだ。そしてそれにずっと気づかなかった俺もぼんやりし過ぎだった。

 

仕事がつまらないのではなくて、一緒に仕事をしている人がつまらなくさせているんじゃないか。

なんてことだ。

彼の言いたいことはずっと、俺って凄いだろ、だったんだ。そして、ずっと求めてきているのは、あなたは凄いですね、という言葉だったんだ。

実際、彼が有能に見えたので、凄いですね、と俺も言ったことがある。彼がそう言って欲しそうにしている空気を感じて、そのままそんなことを言ったわけだが。これが良くなかった。

そのせいで、こちらに根を張るといい気持ちになれる、と感じて、養分を吸い取るための根を、俺の方に伸ばしてきたのだろう。気持ち良くなるために。

あーあ。何やってんだよ、俺。

反省しよう。

 

話がまとまらなくなった。

偽の心と本当の心に話を戻そう。

彼とうまくやっていくべきという偽の心と、もう彼にはうんざりしてきた、という本当の心のギャップに苦しんでいた、ということになるようなので、彼に養分を与えるようなことは厳に慎むようにすることと、とにかく距離を置くことを心がけること。

これでなんとか今年はやっていけるんじゃないか。

そういう結論に至った、冬休み最後の日の朝。

 

今後は心の中で

「はい来た、自己承認欲求」

と思う習慣をつけようね。