風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

感謝についての社内リレーエッセイ 草稿

うちの長男が幼稚園くらいの頃から、

なにかをしてもらった時には

「ありがとう、っていうんだよ」

としつけてきた。そして自分も彼が何かしてくれたら、必ず、ありがとうと言うように心がけている。

   ありがとう、は、そうなってくると状況に対する一種の反射のようにも見えてくる。世の中をトラブルなく渡っていくための処世術のような、暗黙の約束に基づくマナーのような、そんな側面もあるように思う。


    もちろん、ありがとうと言わないよりは言う方が、言う方も言われる方も気持ちが良い。それはみんなわかっている。思いがけずにもらう、ありがとう、の言葉は人に生きる勇気をくれるし、人間関係を少し暖かくしてくれる。ありがとう、は、最強だ。

   ただ、ありがとうが当たり前のように往来する世界では、本当に心を込めて深い感謝を伝えたい時には、何か工夫をして、いつものありがとうとは違う、ということを表現しなくてはならないのではないかな、とも僕は思うのだった。これは単なる「挨拶」なんかではなくて、本当に、そんじょそこらにはない有り難いことだと思ってるんです、と、どう伝えたものか。


「本当に」と「ありがとう」の前に書くのは手軽でそれなりに効果的だ。けれど、なんだか言葉に頼ってしまって、中身がおろそかにした感じがする。


   これについて3日間、暇さえあれば考えてみた。そして次のように考えた。


「おかげで私は」

と、必ず言い添えるようにしたらどうだろうか。これがつくと言われた方は、感謝の内容をより深く立体的に感じられるようになり、ありがとうと言われたときの喜びが倍増ではないか、と。

   なるほど悪くないな、と、自分で思ったのだが、すぐにあることに気がついた。

    実は、素敵な作用は言われる側よりもむしろ言う側に訪れるのではないか、と。

  「おかげで私は」

と、言い添えるには、なぜそのことについて自分は感謝しているのか、を改めて考える必要がでてくるからだ。そして、それをすることで、ありがたい気持ちがじんわりと心の奥から湧いてくるからだ。


例を幾つか書いてみる。比べてみてほしい。


仕事で先輩が自分の失敗をフォロー

普通 〇〇さん、先程は私の失敗をフォローして頂きありがとうございます。

発展 〇〇さん、先程はありがとうございます。おかげで私は今回の失敗に落ち込まずに、明日の打ち合わせ、堂々と臨めそうです。


ソフトの使い方を教えてくれた

〇〇さん、ソフトの使い方を教えてくれてありがとうございます。

〇〇さん、ソフトの使い方を教えてくれたおかげで、助かりました。時間がかかりそうで泣きたい気分だったのですが、おかげで今日は残業しないで帰って、子供と遊んであげる時間が作れます。


チームメンバーの残業

〇〇さん、徹夜で資料を作ってくれてありがとう。

〇〇さん、徹夜で資料を作ってくれてありがとう。おかげで僕は昨日10時間の睡眠をとることができて、元気いっぱいだよ。


最後の例はちょっと感想が分かれそうだけれど、自分はこういうことを言われたら、そうかよかった、それではあとは頼んだ、とうれしくなるだろう。そして寝てしまうだろう。


まとめる。

何が、ありがたいんだっけ、と再確認しながら送る感謝には、普通以上のありがたみを自分で感じるものだと思う。

言われる側も、そうかーそんないいことがあったのか、俺も役に立ったなあ、と、うれしくなるだろう。


なので、これから感謝の言葉を誰かに送る時には、おかげで僕は、ということを必ず書き添えるようにしようと今回決めた。送られた人にとってそれが愉快なのは勿論なのだが、それによって有り難さを改めて感じることができる僕自身にとっても、お得だからだ。