風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

断捨離祭り

 マンションの理事会に参加して、マンションの大規模修繕の話し合いに加わる。いろいろな人が自分たちの都合であそこも直してほしい、ここも見直したい、と言ってくる。どうあるべきかについて他の住人の人たちよりも自分の時間をさいて、意見のまとめに骨を折っているわけだけれども、なんだか面倒くさくもなってきた。自分で立候補したからには感謝してくれとは言わないけれども、あれができていないのはあの人のせいだとか、意見を吸収してくれないのは彼が悪いのだ、などと不満をぶつけられるはけ口にされるのは少し甘えすぎていないかと思う。もう少し自分のことは自分で骨を折って時間をとって解決する姿勢をとれよ、と。これは仕事であちこちのお客さんのところに行ったときにもよく思うことで、自分たちで決めて自分たちで進めていくべきことをこちらは手伝いにきているはずなのだが、さあてお手並み拝見、と自分たちで考えようとしないお客さんが多い。特に日本人のお客さんはそういう甘えた体質が濃厚のように思う。そういう人になんとかしてもらって当然という、日本人的な気質は自分は嫌いだ。人は誰も助けてくれないから自分のことは自分で守らないと(だから家族を守るために家に銃を置いておこう)という気質の方が、自分としては共感する。

 GWに家の模様替えをしたところ、そこからドミノ式にあちこちに見直しが入り、ツマが熱心にコツコツと家の中の改善活動に励んでいる。要らなくなった服とか、使わなくなったものとか、どんどん「捨て」に入っている。うーん、昔の写真のネガフィルムもすべてとっておいたのだけれど、1つたりとももう1度焼き直して眺めたいと思わない。

 年をとったら昔を懐かしんだりするかと思ったのだけれど、以外と昔のことなんて、現在はどこにもないただの幻影のようなもの、という感じで「現在」のことにしか関心が無くなっていた。もっとじじいになったら、捨てるのではなかったと惜しむのだろうか。わからない。

 息子の将棋の上達がすごすぎてもう遊び相手としても厳しくなってきた。1勝5敗くらいのペースになってしまったので、もう遊んでいてもあまり面白くない。もう将棋をやめてしまって平和に暮らすことも考えるのだが、まあ、せっかく趣味らしいものとして根付きつつあるのでもう少し勉強して腕を上げてみようとも思う。一生楽しめる趣味として。老人ホームでこの趣味が役に立つ日もあるだろう。