風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

生きる 黒澤明

起きた時に頭がやけに重くて、こらは適応障害の再発かと疑った。だが再発する理由もなんだかよくわからない。

息子の歯の手術があってツマと病院に出かけて行った。

オレはなんだか悲しげで眠りたい気分だった。会社に休暇の連絡をしようかと思うほどだった。が、これは寝れば良くなるやつだな、という感覚もあった。仕事は幸い今は暇なのでメールが来たら対処することにして、布団の中で活動することにした。映画を見て元気を出そうと思った。ゆっくり探している余裕はないので、目についた「ハムナプトラ3」を10分くらい見て、これは眠りたい時に見るやつじゃない、と気づいた。そして黒澤明の「生きる」を観ることにした。2回目の視聴。

なのであらすじはわかっていたが、細かいことはすっかり忘れている。

こんなエピソードあったっけ?と、確認しながら観ていた。観ながら一回寝た。起きてから巻き戻ってまた観た。

志村喬はすごい役者だなあ、目がギラギラしてる。それをそう撮影するスタッフもすごい。

 

後半、主人公の渡辺が、自分にもまだ死ぬ前にやれることがある、と、レストランで突然のように気がついて階段を駆け降りるシーンがある。他の客たちがいる。女学生たちのようだ。ちょうど渡辺と入れ替わりに階段を登ってくる誰かのために、ハッピーバースデーをみんなで歌う。

前に観たのは高校生の頃なので、もうすぐ胃癌で死ぬ渡辺に対する対比としてのハッピーバースデーかと当時は思っていた。が、とんでもない。演出上これは、まだ自分にもやれることがある、と、気付いた渡辺自身を祝うための、そのことに気づいたことこそが誕生なんだ、という意味でのハッピーバースデーだったのだ。うわくそ、こんなわかりやすい演出を見落としていたとは。

 

歳をとってから知っているつもりの映画を観ると、違う気づきがあって面白いものだ。

 

映画を見終わってからもまた布団の中で眠り、メールが来たら起きて必要に応じて返信して、また眠りを繰り返して2時間くらい眠りを稼いだ。或いはもっとかも。だいぶん元気になってきた。