父母という大人2人と顔を突き合わせて暮らしていて、父も母もなにかと干渉したり世話を焼いてきたりするので、そして親のいうことをできるだけ聞く自分でいたいという気持ちがあるからなのか、その優しい気持ちと、自分のわがままを通したい気持ちがぶつかったのか、高一の息子のストレスがとてもたまっていたことを思い知らされることになった。
学校でもストレスの溜まることがあったらしく、大変らしい。
彼はたぶん頭が普通の人より良いのだろう。親バカ半分でそう思う。
だから人と接する時にも、三手くらい先のことを考えてしまうのだ。こんなことを言ったらどう思うだろう、とか。人を傷つけないようにしながら、自分も傷つかないようにしながら。だから、距離感の掴めない人一倍人付き合いが疲れてしまうのだ。そしてやり取りの展開を一手も読まないで、気分のままに接してくるような人もいるし、オレだってそういうことの方が多いので、そういうやりとりに傷つけられてしまったりするのかもしれないな。
カドをたてないようにしなごら、言いたいことをいうのは技術が必要だ。練習が必要だ。オレだってまだまだだと思う。それから言いたいことを言って、変なことを言ってもあきらめてもらうという、そういうポジションづくりも社会では必要だ。
とりあえず、オレの喋り方の改善すべきところを指摘された。思想とか考え方ではなくて、喋り方の問題なので注意さえすればすぐに対処できるわけなので、これからは改めようと思う。ちょっとしたことをいうときに「ごめん」を頭につけることが望まれるらしい。オレはその辺の神経が死んでるみたいで、それをつけることの効用が感覚としてよくわからないが、それはそれ。つけていこうと思う。ただ、どういう時につけたら好ましいのか、そういう感覚がそもそもないので自分にはよくわからない。ひとまず乱発することにする。