のび太の母親がそうで、つまりそれは世の中の母親がそうなのだろうけれど、親は子供が勉強しているのが好きだ。勉強することの意義があるのは明らかなのだけれど、親が子供に勉強させたがるのはなんだかそれだけではない感じが自分でもする。
子供の頃に勉強させられた恨みを自分の子供に返しているのだろうか。
自分の人生が思い通りにならなかったのは、自分の勉強不足が原因だと見做して、同じ不自由をさせたくないと切実に思うからなのか。
よい成績を子供がとることで、自分の子育てがうまくいっていると感じることができて、わかりやすく快感だからなのか。
勉強できる子供は人生の苦労が少なくなりそうに思えて、親としての気苦労が減りそうに思えるからだろうか。
勉強ができればいい大学に入れていい就職もできて、人生が安泰だと信じているので、そういう生活をさせてあげたいと強く願うからだろうか。
自分の命令に従う人を見た時の、自分の価値が認められたような優越感が気持ち良いからだろうか。
自分でもよくわからない。息子が勉強しないでいるのを見た時のモヤモヤした感じはなんなのか。
受験に追われて試験に勝ち残ったが、いざ大人になると就職難で困ってしまい、子供時代を勉強で塗りつぶした若者が人生に絶望して「寝そべり族」というものを社会問題として抱えている中国。それを見ると、そんなことになるくらいなら溌剌とやりたいことに時間を使わせてあげたほうが良かったのかもしれないよな、と思う。
勉強できた人が傾向として笑顔で幸せそうかといえばそうでもない。勉強できなかった人が傾向として不機嫌に暮らしているかというとそうでもない。大人なら誰しもわかっているはずだ。
それなのに。
息子が勉強してないのを見た時に、楽しそうで良かったと微笑ましく思う代わりに、なんだかイラッとしてしまう親は多いと思う。
オレ自身もそうなのだけれど、これはどこから来るのだろうかと自分を深く見ていってもなかなか答えが見つからない。