不安になったり憂鬱になったり、誰にもあると思う。現実の事実は不動で変えられないように見えるけれど、実際には本当にありのままの現実をとらえるのは至難の業だ。そこに自分の欲望や恐怖がまぶされて心のスクリーンに映るので、客観的に観たときの有様とはかなり違うことが多いからだ。客観的に観てみようと意気込んでもそれは簡単ではない。人はそんなに賢くないのだ。それくらい人は欲望に弱いし、それくらい人は不安にさいなまれる。それらの欲望と恐怖を活かして、人類は生き残ってきたらしいし。
今朝から練習しているのは「内観」という頭の使い方だ。心の動きを見つめる自分を持つ、という訓練だ。「今オレは腹が立っている」「オレは今うれしく思っている」「オレは今不安に苦しんでいる」などのように、自分の感情を見つめる自分を保持する頭の使い方をするらしい。
できるかどうかの前に、これが不健全だという意見について話したい。確かにうれしいときに「オレは今うれしい!」と思うことで、そのうれしさが自分から遠ざかり、感激が減退してしまうのではないか、という批判があるように思う。
その通りなのだ!
それが嫌な人は内観はやめた方がいいと思う。ただし、それと引き換えに、怒ったり悲しんだりとアップダウンの激しい暮らしを受け入れることになる。それもまた生きていることの楽しさなのかもしれない。感動的な人生を味わえるから。
一方でオレは不安に浸って冷静さをなくしていくのが苦痛なので、内観をマスターしたいなと思うようになったのだった。
習得する方法だけれど、近道のようなものはなくて心がけて繰り返すしかないと思っている。心の動きに連動して「はい、カメラ引いて」と反射的に思うように訓練するのだ。心配だな、と、思ったら、カメラをさっと引いて「はい、心配だなと思ったよ、オレ」と思うようにするのだ。しかし、これは難しい!頭に血が上りやすい人には特に難しい。
オレは、やや冷ややかなところがあるので、適性としてはわりと有利なのではないか、と勝手に思っている。どうなのだろう。内観を習慣にして頭にその水路が定着すると、自分の心がいかにくるくる変わるのか、自分の心がいかに妄想に満ちているのか、次第に体感できるようになるのではないか、と期待している。
「うん、思うような記事が書けた」
と、思った自分がいた。