風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

火花、を数ページ

週刊春秋を借りることができた。芥川賞を受賞した「火花」が掲載されていたので貸してもらったのだが、5ページしか読めなかった。文章として気持ち悪いからだ。話の内容の気持ち悪さ、主人公の感じ方の気持ち悪さ、などもあるのだが、ここでは文章としておかしいと思うところだけ書く。

この小説は「僕」が主人公として物語を進めているので、一人称小説になるわけだ。その一人称の中でときどき客観的な事実であるかのような、三人称の小説に使うような言葉が平然と出てくるのだ。なんというセンスのなさ。なんでこれを芥川賞にしたのか、信じられないくらいだ。

 

熱海は山が海を囲み、自然との距離が近い地形である。そこに人間が生み出した物の中では傑出した壮大さと美しさを持つ花火である。

 

一人称で書いているくせに太字のような客観的な書き方。自分の感じ方は世界において認められるべきということなのだろうか。一人称の小説のくせに、その感じ方を第三者的に描く記述が多すぎて気持ち悪い。

 

こう書いたならこれについての文句はなかった。

熱海は山が海を囲み、自然との距離が近い地形である。そこに花火である。人間が生み出したものの中でも、花火は傑出した壮大さと美しさを持っていると思う。

一人称にしても、つまらない文章だけれどね。花火の美しさを書くなら「文章で美しさが伝わるものをかけよ」といいたい。花火は美しい、じゃなくて。でももう、それについては書かない。

一人称の小説になっていない時点で、表現力をうんぬんしても仕方ない。

 

 

このような万事整った環境になぜ僕たちは呼ばれたのだろうかと、根源的な疑問が頭をもたげる(なぜ根源的といえる?主人公が自分の感じ方について第三者的な評価を書くなよ)。

 

僕が絶望するまで追い詰められなかったのは、自然や花火に圧倒的な経緯を抱いていたからという、なんとも平凡な理由によるものだった。(なんで平凡、といえる?)

 

なんとなく世間がちやほやしていて気持ち悪いので本を買わなかったのだが、正解だったし、今後は芥川賞の本は買わないようにしようと思った。

 

 

 

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)