風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

セキニンカン

それが出来ないと

何がどうなるん?

 

と、書いた画像を携帯のロックの壁紙に設定してみた。

思い悩んでいた時の俺には、その視点がなくなっていた、と、気づくことができた。

どうやったらやれるのか、やりきれるのか、何でやりにくいのか、どうやったら逃げられるのか、のような視点ばかりに囚われていた。別に出来なかったとしても大して問題ないんじゃないの?という発想がなくなっていた。それがどれだけ重要か、とても重要なものなら、もっと手厚い支援がされてしかるべきなのだ。

プロジェクトはどうせズタズタだから俺のせいで遅れるということもない、誰かの信用を失っても、それは期待が大きすぎただけのこと。他のところで信用を得るように頑張れば良いし、個人が頑張ってみてもどうにもならないことを、何とかしないといけない、とか、思っていたような気がしてきた。出来なかったとしたら、それは、元々出来ないことだったのだ、と、明らかになるだけだ。

色々と苦しんで出てきた心の出口はこの辺にありそうだ。

まだ心は晴れない。睡眠障害もあるし。俺にはもっと今休みが必要なのだ。

 

電車の運行の遅れを、電車の運転手が責任を感じても仕方ない。

 

どうにも出来ないことと

どうにかしよう、という心の溝に

溜まったものが

適応障害の原因になるんだ