風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

からくりサーカス

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藤田和日郎の漫画のアニメ化。少年サンデーの古〜い作品だが、ある種の伝説的な作品なので見始めた。

巨額の遺産を相続することになった少年が謎の組織たちから命を狙われることになる。それを守るのが、拳法の達人のお兄さんと、人形操りで敵を粉砕する、しろがね、だ。巨乳のお姉さんだ。

話は結構エゲツない。子供たちが病気で死ぬし。でもさすがに往年の少年サンデーを支えていた作品だ。見てしまう。

こういう一発屋系の人の名作がサンデーには多い気がする。ガッシュベルも、うしおととら、もそうだ。

風邪が治らず

息を吸うと咳が出るので、深呼吸というものがなかなかできない。ようやく治りつつあり、咳をすると痰が絡み出した。お陰で喉の痛みは緩和。しかし空気を、肺までしっかり吸うことがなかなかできない。たまにしっかり吸えるとなんてありがたいんだ、と、思う。病気になると、普通のありがたみを再発見する。

適応障害の時にも思ったことだけれど。

 

風邪で背中がバキバキ痛い。

メメント

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アマゾン動画で視聴。この映画を見るのは20年ぶりくらいか。話の顛末や骨格は覚えていたが、細かな話のつなぎ方は覚えていなかったので、改めて見てみた。

記憶が10分しかもたずに、10分たつと10分前のことは忘れてしまう男が、嫁を殺した犯人を見つけ出して復讐しようとする映画。彼は記憶がもたないのでメモが頼り。大事なことは体に刺青しておく。

話はラストシーンから始まって、少しずつ過去に遡るという、大変ユニークなつくり。なので、馴染んで見ていた刺青、あとになるとそれを入れることにしたきっかけを見ることになる。実は見ていたこの100分の映画の意味をひっくり返す、最後のネタばらしは、何とも苦い後味。10分しか記憶がもたない男の、生き甲斐の話であったわけだ。

まあ、誰でも一度は見ておくべき印象に残る作品。

父の誕生日

実家まで我が家から45分くらいなので、父の誕生日を届けに行くことにする。

もう80超えているのだが、ありがたいことにボケてもおらずに元気に働いている。通勤までしている。通勤の時などに、俺が教えてあげたアベマTVの釣り番組をよく見ているらしいので、それならばと、ワイヤレスのイヤホンの少しいいやつを買ってあげた。7000円くらい。

イヤホンのコードから解放されると実に素敵なのだ。最近、そんな風に音楽を楽しんでいる人が増えたので、まああとどれくらい生きていてくれるのかわからないが、親孝行させてもらえるうちに、やらせてもらうことにする。

最新の技術を引き寄せてあげるのは、子供の役目だと思うわけなので。

蒼井優

この子はこの持ち前の気配で、見る人を引きつけてしまうものがあった。

タイガー&ドラゴンというクドカンのドラマで初めてみた時から、気になると思ったのが15年くらい前。その後もたくさんのドラマや映画に出ているが、なんというか、人生がうまくいってない役が多い。龍馬伝の芸者の役とか、苦虫女と100万円、クワイエットルームへようこそ、そして最近の名前を知らない鳥たち。どれも、交換が持ちにくい役が多かった。

なので、山里氏との結婚会見で彼女の素を初めて見た人も多かったろう。。自分もそうだった。こんなに可愛らしい人なんだ、と、再発見だった。この良さをこれまで引き出せてなかった芸能界のなんという底の浅さよ。

そしてそれを引き出した新郎の山里氏のなんとしっかりしていることか。

それなりに年の差があるが、蒼井優に尽くされてしあわせな家庭になることだろう。と、思えた。なんども会見を見たくなるほど、ここでの蒼井優の可愛さは強烈だ。

ワイシャツ3着

安かったので、茶色と灰色のスーツを買ってみたのだけれど、そしてオーダーメードでこのスーツを2着で6万くらいというのは安いなあといい気分でいたのだけれど、濃い茶色のスーツというのはなかなかあわせにくい。嫁は「イタリアマフィア」のボスみたい、とのこと。目立たないように暮らそうと思ってるのに、ケチって売れ残りの生地に手を出したばかりに。安物買いの銭失い、は、世の常だ。

もう1つの灰色のスーツもうまくきれるかどうか。ひとまず合わせやすそうなワイシャツを近所のアオキで3着買ってきた。

「空気」を読んでも従わない

 

嫁が買ってきた息子向けのジュブナイル。それだけあって読みやすく、2時間くらいで読み終えた。

日本という「世間」というものを大切にする文化論から入って、そうして世間と呼ばれるモノに振り回される日本人がいかに特殊であるのかを、客観的に語る。この本の冒頭にもあるのだが、現在の自分の状態について、それを、どうしてそうなのだろうかと考え始めた時点でその心理的な苦しみは半分くらい解決したようなモノだ。

なんで悲しいのだろう、なんで寂しいのだろう、と、考えている自分はもはやその悲しみに取り込まれてはいないのだから。

空気を何で読んでしまうのだろうか、と、振り返ってみている時点で実はその呪縛からも解決しつつある。さていう自分だが、まったく空気は無視である。みんなが働いていても、自分はこれで、と帰ってしまうし、二次会も行ったことがめったにない。自分はこうなのだ、これでいいのだ、こんな自分を嫌う人がいるなら、もうそれはそれで仕方がないのだ、とそれはもう中学生の頃からそういう少し変わった人間だったように思う。人の頭でなく自分の頭で考えることは大切だよね。

そんな自分でも適応障害で相当に苦しんだ。でももう同じような刺激を受けても同じようなことにはならないと思う。

自分の「いい人でいたい」「好印象を持ってもらいたい」という気持ちが、客先で少しは出ていたのだろう。それをことごとく破壊されていく中で、それに対する自分なりの対処方法がなかったのが原因だったのだろうと今では思う。