風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

あきらめから始めよう

いやだな、心配だなぁ、と心にそれが居座り出したら、もうその心配していることが起きたことにして、それを受け入れるということをよくやる。クビになるのが不安ならクビになったことにする。振られることが不安なら、振られたことにする。さあて、それではどうしたものかな、と考え始めてみると、意外とそれが実際に起きてもなんとかやれる自分であることに気づくことが多い。こうなったらいやだという恐怖は執着からくるもので、執着は欲望からくる。欲望が人を苦しめるのは仏教でも良く語られている。

俺も上司の人に怒られたらどうしようかと思ったりしていたのだが、もう怒られたことにした。そしてクビになったらどうしようかな、と考えてみたりした。この執着を引き剥がしてあきらめてしまうことはとても難しい。あきらめられないからずっと悩んでいるわけなので。

でも悩んでいても仕方ないことが多い。それに気づいて、まあ、もういいや、と欲望を手放して上手く諦めることができたら、もっと笑顔で人はいられるのではないか、と。