風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

死せる金魚と、カントクの店に散歩

少し大きくて750円した柄のきれいな金魚は、柄が綺麗なわりに健康だったのがオレにとっての小さな自慢だった。が、やはり飼育環境が劣悪なのか、柄のついた太った金魚は繊細らしく、体後重そうで水槽の下で寝てばかりになった。飼育し始めて1年くらいの金魚だ。

もうこうなると打つ手がわからない。こいつはなかなか病気にならないと感情移入してかわいがっていたので、ぐったりと水槽の下に沈んで、時々ピクリとヒレを動かしている様を見るのは気の毒である。そして心に小さい穴をあける。かわいいと思わなければこれ程には痛ましく感じない。が、かわいいと思わなければ飼育している意味もない。この辺は恋愛の皮肉とも似ていて、相手を好きになりすぎるとうまくいかないが、好きでない相手と連れ添っても意味がわからない。

話を戻すが、金魚でこれなのだから、犬や猫との死別はもっともっと心にのしかかるだろう。

 

息子が市ヶ尾バーガーキングで晩ごはんにしようと言うので、それを採用。

食事の後、なまってしまった足を喜ばせるために徒歩で帰宅することにした。藤が丘駅まで歩いた時に、閉店5分前なのだがカントクの喫茶店に寄ってみることにした。店の外から見ると女性客が3人談笑している。なかなか繁盛しているようだ。

ソーダをもらった。

カントクは大手広告代理店を脱サラして、喫茶店を開き、ゆっくりと自分のペースで人生を楽しんで暮らしているように見える。仕事が苦しくなると、ああいう暮らしもよいよな、と、憧れる。しかしきっと自分はああいう静かな暮らしをうまく楽しめないだろうと思いなおす。

オレは多分、どこにいって何をしても

「オレはこんなことをしていていいのか」

と考えてしまうような気がする。

生きることにもともと意味はないのだから、意味を求めてうろつき回っても、はじめから負けるとわかってある闘いに挑むようなものだ。ならば、と、今の暮らしを維持することに腐心するのでよいのではないか。

 

そう思いつつも、違った生活や暮らしに甘い幻想のようなものも抱いてしまう。静かで、やるべきことを自分で決める暮らし。いいなと憧れるものの、1年間それを続けれていられる自信がない。