風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

金魚たち

やつらは人が近づいてくると、水面に移ってきて口をパクパクし始める。餌をもらえることが多いからだ。そういうことは学習しているようだ。しかし、もらう、与える、という概念のない彼らは多分、人影があると餌が落ちてくることがある、と、反射しているだけだと思っている。もらっている、などと考えはしない、と。

水が汚れないように飼い主の俺がフィルターを変えていることも、水槽のガラスを拭いていることも、彼らは知らない。わからない。ただそれが当たり前のことだとして、当たり前過ぎて、当たり前だとも考えずに生きている。

まるで我々が空気を吸って吐いて暮らしているのが、我々にとって当たり前すぎるように。感謝さえしない。

人間ももしかしたら、誰かにとっての金魚のようなもので、誰かの世話によって上手く生かしてもらっているだけかもしれない、と、金魚を見て思う。

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手塚治虫の、空気の底、という短編は水槽を汚されたことで死んだ2匹の金魚が人間として転生する話だ。

似たような感じ方だと思う。

 

俺は金魚を見ながら、こいつらのどれかがもしも、俺の存在を感じて俺に感謝してくれたなら、ほんとうに可愛がり甲斐があるのだが、と、水槽の前でおもう。

だから、俺は毎朝、なんだかよくわからないものに、今日の1日を与えてくれてありがとうございます、と、1分くらい感謝してみる。そのよくわからないなにか、神様か、なんだかわからないけれど、が、喜んでくれたらうれしいし、それでほんの少し他のみんなよりも、えこひいき、してくれるかもしれないし。