風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

今を

旅の計画を考えてみたりした。息子との二人旅。

どこにいくと何があるかなどわかるのだが、あらかじめ宿を取らずにその日その日を過ごして、気の向くところで電車を降りてぶらぶらとするのも良いな、と思ったりもする。何も調べてないので名所も見逃すし、宿も変なところしか泊まれないかもしれないけれども、それを想像することで何か癒されるものを感じる。

人が未来に備えて計画する力をつけたことは、賢いことだったけれども、結末がどうなるのかが気になったり、効果的かどうかを考えるようになってしまって、今どうしたいのかという、たった今を楽しむ力を弱めてしまったように思えてきた。

あと先考えない寅さんが人気なのも、それから動物たちが人を癒すのも、彼らが計画を持っていないからなのかもしれない。

子供の頃には計画なんて苦手だったし、何にもそんなものはなくて、毎日、今日は何をして過ごそうかなと思っていた。

中学に入った頃からずっと試験に備えて計画を作って勉強したり、未来に備えるクセがつき始めてしまった。デートコースも計画しないとモテないし、人生設計しないで思いつきで動く人は、結局、愚かな人間となってしまう。

何の準備もできていない、何の予約もしていない、何の計画も立てていない。それだと大きな成果を作ることはできない。そう。結末にフォーカスするとそういう評価になる。しかしそのせいで今を楽しむことを難しくしてしまっている。

オレは失敗するのが嫌なので計画を立てたくなるのだが、愚かになりたくないと思うことで、自分で自分を不自由にしてはいなかっただろうか。

犬や猫がかわいいのは、奴らが今を生きてるからだ。計画的な動物がもしもいたならかわいくない。先のことを考えない寅さんは蓄えもないし、何の予定もない。彼を尊敬する人はだから少ないのだが、彼を日本中の人たちが羨ましく思う。この不思議さをどう説明したら良い?

 

なにも目指していない、なにも達成しようとしていない、そんな態度やスタンスは企業の活動と相性最悪だ。ずっと働き続けてきた自分はもともとそういうところがありつつ、いよいよそれを強化させ続けてきたのだろう。だから、これをやってどうなる、ここに行ってそしてどうする、という目的や目標についてついつい考えてしまう。

本当に自由な心を手に入れたいのなら、今のことに意識を置き続けることだ。

歩いていても足の裏を感じて、何かを食べるときには味に集中する。

本やゲームに熱中したり、ボールを追いかけて走ったり。