風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

受け入れる

老子は作為を戒めた。

が、因果関係の考えに毒されている自分は、何かを人に期待して、それを目論んで行動することが途切れないので、何かとそこに作為を入れてしまう。

人に好かれたい、よく思われたい、褒められたい、などの思いを抱くのは自然だけれど、それを実現するために何かの行動に出るのは、作為と呼ばれて老子ではたしなめられる。

無為であれ、という。

どういう風に考えたら無為に近づけるのだろう。覚悟を決めて、あらかじめ受け入れておくことだろうか。結果が出るのを待つことなく、結果に怯えることなく、もう既にあらゆる結果を受け入れておくことだろうか。

悟り、のようなものなのか。