風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

ネットのコメント

ネットのニュースなどにコメントしている人たちの気持ちがわからない。賛同して欲しいのだろうか。知らない人に賛同されてうれしいのだろうか。うれしいんだろうな。とても。でも知らない人に反対されることもある。その分気分悪いよな、と思う。

なになにすべきだ、とか意見を書いている人も多いが、それに人が賛同しても反対しても、記事に書かれた張本人には何にも影響ないわけで、ニュースに意見を書いている人を見ると暇なんだろうなぁと思う。

レビューなどを書き込んでいる人にも、なんだかよくわからないのがある。

すぐに届きました、というのを見ると、商品のレビューしろやと思う。壊れたので買い替え、というのを見ると、レビュー欄に日記書くなよと思う。自分には合いませんでした、というのを見てもそう思う。これが人の役に立つと思って買いているのだろうか、と思う。

固かった、重かった、小さかった、などの感想は参考にする。

開けたら箱が潰れていた、とか、小さい傷があった、とか、わざわざ不快になることを自分で見つけて、写真まで撮ってアップする人もいる。毛を吹いて疵を求める、という言葉がある。わざわざ隠れているよくないところを見つけて、それに文句を言うことをさす。

自分を不快にすることを見つけて、それをネットに書き込むことがもはや快感になっている人たちって一定数いるように感じる。人生を自分で不快なものにしている。