風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

10年後

息子があんまり勉強しないのだが、勉強さえしていたらなんとなく幸せになりやすかった昭和の感覚で、息子が勉強してないでギター弾いているのを見ると、この人は大丈夫なのかなと少し思ってしまう。しかし、もっとも元気で楽しい時期に、自分の時間を勉強で塗りつぶしてしまうのが良いことなのかとなると、これもやはりよくわからない。

良い大学を出たら、やはり仕事の選択肢は増えるのだろうか。だが、職場で楽しくやれるかどうかはサイコロの目で決まるような気もする。学力と幸福感の相関性は、むしろマイナスのようにすらこの頃思う。

彼が就職しているだろう10年後、世界はどうなっているのだろう。AIの発達で人は考える必要がなくなり、うまくいく可能性が高いと計算機が出した答えに即して、機械に使われる時代になっているかもしれないな。

いろんなことを知っているのが賢さの証拠だった昭和だが、今はインターネットで知識の公平性が満たされつつある。そのあとで、知識を使って意思決定する知恵が問われる時代が来たが、それももうインターネットで誰かが教えてくれたりする。

勉強して賢くなっておくよりも、コンピュータにアゴで使われる時代に順応できることの方が、10年後は意味があるのかもしれない。

或いは料理がうまいとか、楽器が上手いとか。周りにいる人を楽しませられる人が喜ばれる時代になっているかもしれない。

なんにしろ、昭和の基準で息子を見て、喜んだり、ヤキモキしたりするのは、なんだか違うのだろうなと思う。

でも、じゃあ彼に何をさせてあげたら良いのかというと、これは全くもってわからない。

 

こんな小話をネットで見かけたことがある。

「勉強していい会社に入れば遊んで暮らせるから、勉強しておきなさい」

「遊んで暮らすなら、もうすでに今やってるよ」