風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

長い1年

昨年11/6に嫁の父が他界して昨年の今頃は大わらわ、参加していたプロジェクトも悲惨の極みで孤立無援の中、泥まみれになってどうにかこうにか稼働までこぎつけた。オーストラリア人の上司が、こんなもんだろ、というやり方は日本ではあちこち足りていなくて、その不足分をカバーさせられるのはその部下の我々。俺はうつ病になりかけて、毎日鬱病診断サイトで自分の症状を確認。不眠の悩みを初体験。

どうにか2月くらいにプロジェクトは区切りがついたが、俺だけ居残り。週に2回くらい人質として客先に参じた。それが桜の咲く頃まで続いた。

嫁の母親の痴呆が少しひどくなってきて、彼女は毎週2回、往復5時間かけて、今の季節もよくわからない、伴侶の死もわかっていない義母の世話に出かけていく。

こんなに長い重たい1年は、記憶にない。息子はいっとき登校拒否気味になったが、少し諌めつつ、しかし無理はさせず、しているうちに学校の対応もあり、彼自身の成長もあり、今では元気に毎日通っている。

そんな今年ももう終わる。来年は何かのプロジェクトに必ず入ることになり、またひどい目にあうことと思う。