アドラー的に

朝、布団の中で考えた。

なんで俺は今の仕事がこんなにしんどいのか、について。

人間関係の面から、仕事内容の面から、お客さんの性質の面から、あれが嫌なのだろうか、これが嫌なのだろうか、と思いめぐらせてみた。フロイト的な原因論によるアプローチ。

 

それぞれに、イヤになる理由の説明を見つけることはできた。これがつらい、あれが気に食わない、などのように。だが、それらがなくなったら気分がガラリと変わるのかというと、そうでもないような気がした。この考え方は、限界があるようだった。

 

イヤになっているのは、イヤになってしまうことで何か新しい別のことを俺は本当はしたいのではないのか、と、目的論的に考えてみた。ダメでもともと。イヤになるのに目的なんてないか、と、初めは思った。イヤになりたくて自分から好き好んでイヤになるやつなんていない。

嫌いになる原因があるのではなく、何か目的があって、心の奥で嫌いになりたいから嫌いになっているのだという考え方をもう少し続けてみた。

 

ふと思った。

今の仕事をやりたくなくなっているのは、違う仕事をやりたいからなのではないか、と。

それなら、俺のやりたい新しい何か、を見つけなくてはこの問題は解決しない。

 

それはもしかしたら仕事ではないのかもしれない。旅、とか、何かの遊びかもしれない。

なにがイヤなんだろう、ということについて自分の心の中に潜っていくやり方では、この地平には辿りつかなかった。

イヤだな、と思っているのは、イヤだなと思うことの目的が何かあるから。イヤだと思う気持ちは、自分が変わることを後押ししているのかもしれない。

そんな考え方がすなわち、アドラー的ということなのだろうか。

 

今日の朝の冷え込みも厳しい。