風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

年賀状

息子はもう年賀状というものを作ったり送ったりしていない。昭和に生まれた自分は、木版画を父親が作っていてそれを刷るのを手伝わさせられてことを覚えている。多色刷りだったので、4枚くらいの板にコツコツと50枚以上を刷る仕事はなかなか根気のいる仕事で、そういうのをやらされることで根気を鍛えさせられた。逆に、そういうのに耐えられるような気質だったから、そういう仕事をやらされたのかも知れないという節もあり、妹や弟はそういうことをやらされていなかったなということも思い出される。

で、年賀状だが、今年は自分も手を抜いて、日本郵政が提供してくれているクラウドのサービスを使ってほんの30分くらいで年賀状を完成させてしまった。用意されているテンプレートに写真を乗せるだけなので、簡単なのだ。息子も中学2年になり「かわいい盛り」は過ぎているし、こちらも初老になりかけていてあまり見た目的にもばら撒くような感じではなくなってきている。それでも、自分の写真だけは載せ続けたいというこだわりもあって、送られてくる年賀状に相手の写真すら入っていないと、いよいよ手を抜いているなあ、と残念になる。

今年は、昨年年賀状をくれた人に送る、という基準で宛先を決めたのだが、その人たちの全てが年賀状をくれたわけでもないという今年になっていて、20%くらいの人が年賀状をくれていない。それを不義理と腹を立てることは全くなくて、もうそういう年齢ではなくなっているのかなという年賀状を出す人の年齢と、それからそういう時代ではなくなっているのかな、という時代の持っている空気とについて想いを馳せる。

日本が不景気だから、そういうことをしたくない身の回りの状況なのかな、とか、病気になったのかな、と少し思ったりもする。

去るもの日々に疎し。

年賀状は正直億劫だし作るのも(簡単に作れるとは言いながらも)面倒ではあるのだが、それゆえに、その面倒に負けてしまうのが癪なので意地で作っているという側面もある。

 

Nという自分よりも年長のおっさんが年賀状に書いていたメッセージは、ただ一言。

「まだまだ!」

どういうつもりで書いたのかはわからないが、歳をとってきたが色々な面倒くささにまだ負けないぞ、という気概をこちらは勝手に感じたのだった。