風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

大学の後輩の死

Kくんはすごく優秀で、そんなことを人に言ったりやったりするのは、ちょっと非常識というか失礼なんじゃないかな、いうことを何の害意もなく口にできる男だった。大学のサークル後輩だ。俺の書いた文章を見て、みんなが思っていることを書くのがうまいですね、と、甘辛い変な批評をされたことがとても印象に残っている。発想が平凡で陳腐だと言われたのだが、文章は褒めてもらえたらしい。

年賀状のシーズンで、今年は身内に不幸があったので年賀状は送りません、という郵便が来ていて、どのひとの親が亡くなったのかな、と見ていたら、知っている大学の後輩のKくんが死んだと書いてあったので、びっくりした。

Kくんは同じサークルのYさんと結婚。YさんもKくんもおれの後輩だ。大丈夫かな、と、気にはなるけれど年賀状を年に一度交換するだけの仲で、急に親身になるのも何だかためらわれる。

こうして、串の歯が抜けるように仲間や友達が少しずつ死んでいる。そんな年になったということか。不思議なもので以前は思い出すようなこともなかったような人なのに、死んだと聞かされた途端に、色々と思い出が心に立ち上ってくる。

 

死んでから、ああしてあげるんだった、とか考えるのは意味がない、というようなことを、ダンスダンスダンスで主人公が言っていた。そう思うことがないように生きている人を大切にしないといけない、というようなことだった。

村上春樹のこの小説はあんまり好きではないのだけれど、何しろ簡単に人が死ぬから、この一節は確かにそうだと思っている。あとで、こうしてあげるんだった、のような後悔だけはしないように人と接するように気をつけている。

これが俺の精一杯なんだよ、と、少し心の中で言い訳しながら。俺はこんな程度の男なんだよ、と、悲しく自分を許しながら。