こうして適応障害の診断書をもらって4月末までの弩級の長期休暇をもらった自分だ。
これを機会に、人生を見直し、生活基板を考え直し、新たな趣味やら新たな株式の取引手法やらを考えようと思っている。
それらがもとでまたこれから思いがけないところから人生が広がっていくのであれば、適応障害になったのも悪いことばかりではなかったのかな、とも思えそうだ。なんとか見つけなくてはと少し焦り気味の先週の自分だったが、もう見つからないならそれでもいいやと、今日になってやっと肩の力も抜けてきた。
人生万事塞翁が馬。
良い事の中によくないことの芽が隠れており、良くないことの中に良きことの種が潜んでいることもある。あまり一喜一憂するものではない、ということか。
適応障害になったおかげ。
ちょっと見、不幸な出来事や失敗だって、それへの対処や解釈次第でプラスの出来事とすることもできるかもしれない。
先週から、ずっと思索と内省をこうして繰り返しているので、少し性格が変わってきたような気がする。
かつてはそこそこあった、人を楽しませよう、喜ばせよう、というサービス精神のようなエンジンが丸ごとガクンとはずれて、別に会社の人にどう思われてもいいや、と、いう感覚が強まってきたような感じがある。自分にはそういう人への関心の薄さのようなものはたまに指摘されていたことなのだが、さらに強まってきている気がする。
これは、よいことなのか、よくないことなのか。