風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

AIの時代へ

 AIがいろいろなことを人間の代わりにやってくれる時代が来つつある。そうなると人間がAIよりも価値を生み出せる仕事だけを人間がやるようになると思うので、そのときにそういう仕事ってなんなのだろうと思う。文明の発達は人間のやらなくてはならないことを他の機械にまかせることで進んできた。印刷も、自動車も、コンピュータも、すべてそうだ。その果てについに「考えること」まで機械がやってくれるようになりつつある。人が働かなくてもいい時代、が来ようとしている気がするが、そんな中で人は一体何をして過ごしたらいいのだろう。

 どういうことに「生きている自分の時間」を注いだらいいのか。

 

 生きていることの意味や意義などはおそらくもともとなくて、でもかつて人は生き続けるために一生懸命だったのでそんなことでこれまで悩む暇なんてなかった。生きることの意味なんて「生きること」で十分なのだから、もともとは。それくらい生き物は生き続けることにもともとは必死なのだ、みんな。ミミズだって、オケラだって、アメンボだって。

 生きるために必死でなくてもよくなるように人類は文明を発達させてきて、暮らしは楽に次第になった。だが、その結果、生きること以外の意味を見つける必要が出てきた。「じゃあ何をして過ごしたらいいのだろうか」という人類が人類史上これまで相手取ったことのない疑問が今の我々の目の前にある。

 行き場を失った「生きる意味」を仮託する場所として、今の文化の有様があるように思う。

 グルメ系のドラマが増えている。食べること、味わうことに意味を見いだすという路線である。

孤独のグルメ」「おいしい給食」「居酒屋新幹線」など。

 それから今の自分の人生に刺激や生きる意味が見つけにくくなったので、転生ものや異世界ものが異様に流行していてその中はドラマチックなのでそこに生きる意味を転嫁しようとするものが数え切れないくらいある。「Re:ゼロから始める異世界生活」「幼女戦記」「転生したらスライム」などがその代表だし、「ダンジョン飯」は異世界もの+グルメを合体させている。そりゃ時流に乗っているよな、と思う。

 退屈を紛らすために性に関する書籍やドラマも乱れている。風紀が乱れていることを問題にする人もある。が、いろいろなことを機械が代わりにやってくれるようになって時間ができてしまったこと、孤独でもなんとか生きやすくなってきたので、共同体を保つことへのモチベーションが下がってきていること、なども原因だと思う。共同体の解体はゆるく進んでいて、家族の絆とか、友情とか、そういう言葉には人を制御するための説得力がなくなってきている。「離婚しない男」というドラマはかなり思い切った破廉恥作品らしいが、そういうものが増えてくるのではないかな・・。 
 やたらに残酷だったり猟奇的だったりする漫画のジャンルが多くなっているのも、同じような背景だと思う。

 

 今や「退屈」が人類の敵になりつつある。

「葬送のフリーレン」が面白いと思うのは宿敵である魔王をすでに倒してしまい、退屈を持て余しているフリーレンが趣味で役に立たないような魔法を集めたり、寿命の短い人類を引き連れて、毎日の小さな素敵なことを楽しむような漫画だからだと思う。なので見ていて癒やされる。今の自分も同じように生きてみてはどうか、と思えるから。(ま、フリーレン様は最強の魔法使いなので、そこが実生活の我々とは違うんだけどね)。こんな設定に目を付けた作者と小学館はすごいと思う。ファンタジーの話のようでいて、実は我々自身を物語の中に感じることができるから。

 

 生きていくこと自身が生きる意味でなくなった人たちは、その意味をつくるために動画を配信してみたり、自分の生活を人に見せて「いいね」を得ることで、その意味を見つけ出そうとすることもあろう。人に見てもらうことに意味を見いだそうとするのは危うい活動だと思うが、頑張ってもらいたい。

 

 こういう世相の中で俺が生きる意味を考えるならば、今しばらくは息子が楽しそうに生活できるように心がけることになるわけだが、あとは、体の感覚をもっと意識することなってくるのかなと。暑い、寒い、心地よい、臭い、などだ。歩くときの足の裏の感じを意識するなどだ。味わうときの味に意識を集中するなどだ。

 あとは人気の出そうな株の銘柄を探したり、持っている株の値動きに一喜一憂するのも最近の楽しみになってきている気がする。

 なにしろ人類の課題なのだから、当然オレにとっても課題になっている。