風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

役に立ちたい

仕事する楽しみ、というより、人の生きがいは、この誰かの役に立ちたいという想いがあってこそで、誰かにありがとうと言われればひとしおうれしいが、言われなくても自分で役に立っていると思れば、なんだか嬉しいものだ。雪の日などに道路の雪掻きを人しれずやったときなどは、誰もがその作業を見てないのだが、路の横に雪が小山になっているのを夜道を見ると、その自己満足感で心が温まる。

 

人が勉強するのはつまり、自分が楽しく何かを身につけたことで誰かの助けになるかもしれないから、なんだろうか。

何も知らないやつ、何もできないやつ、のままだと、役に立ちたいという思いがあっても、大したことはできないものなあ。

 

失業の問題は収入がなくて生活に困る面がもちろん大きいと思うのだけれど、俺はこの世に必要とされていないのだろうか、という身を切られるような孤独も無視できないと思う。

仕事が大変でイヤになる最近なのだけれど、それでも、その対極のなーんの仕事もない状態よりはマシだと思いなおしたい。

 

金を1億円持っていたなら今と違う仕事をしていただろうか。

金のために働く必要がなかったならば。

遊んで暮らしたろうか?

んー、半年くらいで遊ぶのも飽きて、何か人の役に立ちたいと思っていたような気がする。

 

もしそうならば、もし仕事をすることにするのならば、最も世の中のためにすぐに貢献できるのは、慣れ親しんだ今の仕事なんだろう。

結局、今の仕事をやはりやっていた、ということなのだろうか。。