風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

マンションの修繕委員会

大規模修繕工事の委員会に立候補してしまった。

この修繕の機会にドアを交換したいかどうかのアンケートを取ったり、まあ、暇なので修繕活動の意見の取りまとめをしている。そうしないと管理会社のお仕着せのメニューでなんとなく1億円払って、ハイハイおしまい、みたいになるだろうから。

 

理事会に参加したりして意見を聞くと、私はあれが心配だ、とか、これが心配だ、とか感想ばかり。ちょっとゲンナリした、という話。じゃあどうしようかという建設的なことを言う人がいない。心配です、といえば誰かがなんとかしてくれると思っている人多すぎ。

よくあるのが、もし今後〇〇になるようなら、という仮定を置いて心配事を述べる人たち。どうなるか誰にもわからないんだから、そんな心配事を述べても仕方ないだろう、と思う。心配事を口にするだけの人を見ると、なんなんだろうと、思ってしまう。察してくれということなのか。何か助けてほしいなら、そうお願いするべきだろう。お殿様なのか。

 

自分の問題は基本誰も代わりには解決してくれない、と、あきらめきって暮らしている自分には、その甘え体質のような、主体性のない大人たちを見ていると、これは日本経済が良くなるわけないや、と思う。自分の頭で考えないといけない、と、ひろゆきも、ひろゆき信者を自称する人によく注意しているだろ。そのためには自分で調べて、自分で判断しないといけないだろうと。

 

とかいいながら、誰かがやってくれるだろう、と安穏と暮らしている人たちの気楽さは少し羨ましくもある。

そういう人たちに比べると、誰もやってくれないかもしれない、と、肩に力を入れて緊張しながら、毎日を過ごしているということになるのだから。余計なことを心配して、馬鹿なのは俺の方なのかもしれないのであった。