風紋

外資系のソフト会社 コンサル職のおっさんの日々

意味の不在

人類の歴史はずっといかに食べ物にありつくか、だった。そのためにはとにかく働かなくてはならず、生きていることの意味なんて考える余裕はなかったし、考える必要もなかった。2020年をすぎて少なくとも日本人は飢えの恐怖がなくなった人がほとんどになり、食べるために活動していた生きることの意味に迷いのない時代は過ぎ去りつつある。生き延びるための余裕が生まれ、元禄時代のようにいろいろな文化や娯楽が生まれるようになった。が、生きていることの意味なんぞを考える余裕ができてしまったせいで、それがわからずに悩む人がではじめた。生きる意味なんて、考えたり探したりしたって見つけられるようなものではないのに。

どんな命も、生まれてやがて消えていくことに特に意味はない。そんなものはなくても、それだけでも命はすばらしいと思う。だがやはり、生きていく上で意味の不在に苦しむ人は多く。

意味を見つけることにはそもそも無理があるので、せめて、いかに自分を楽しませられるのか、の巧拙が問われる時代になっている。

だから自分が好きなものを見つけることがとても今尊いし、好きなものが見当たらない人は退屈で、お金がたくさんあったとしてもその人の人生はなんだか苦しげだ。

手近なところに好きなものを見つけて、それを大切にできている人が、今の日本では、うまく生きてる人ということになるのではないか。

筋トレとか、料理を作るとか、裁縫が趣味とか。

俺自身にそれができているかどうかは、よくわからないけれど、そのための奮闘の痕跡がこのブログなのかもしれない。