欲と恐怖は同じコインの表と裏。
こうなったらいいのに、という欲は、そうならなかった時の恐怖を裏に持っている。
こうなりませんようにという恐怖は、そうならずにいたいという欲の現れ。
なので、欲を持つ人はその欲を満たされないかもしれない、となりそうになると恐怖する。毎月の給与がちゃんと支払われるようにという欲は、それが支払われなかった時の恐怖とつながっている。
欲を失った状態は、自暴自棄とか、無気力とかでも起きるけれど、色々な恐怖を受け入れてそういうこともあるのかもしれん、と、色々なことを許す気持ちとは区別したい。受け入れて許していくことの果てに悟りのようなものがあるのかもしれない。
期待しないことの大切さを、YouTubeの論者たちがよく説いている。
それから、自分でどうにかなることと、そうでないことを区別する習慣をつけたい。どうにもならないと区別したことについて長々とそれを心の中でいじるのは、あまり健康的ではない。
どうにもならないこと。
終わったこと、天候、家族の性格、自分の身長、友達の性格、それから結構盲点だが、自分が考えてしまうこともどうにもならないことに入れておくべきだ。なので、どうにもならないことを考えてしまうことも、どうにもならないので、それで自分を責めなくていい。これは少しパラドックスなのだけれど、とても大切なこと。
どうにかなるかもしれないこと。
自分の発言、着ている服、住んでいるところ、付き合う人、習慣、食べるもの、読む本、現実に対する解釈。
好きになってしまうものは好きだし、嫌いになってしまうものは嫌いなわけで、それはどうにもならない。
でも、嫌いな人に優しくすることは、それは行動の話なので、やれなくもない。
どうにもならないことに欲や恐怖を持つと、人生は少しキツくなる。死ぬのを怖がり続ける人生はくたびれそうだ。明日の天気をずっと憂うのも大変だ。どうにかなることに集中するのがいいと思うし、できるだけそうしたいものだと思うが、なかなか完璧にとはいかない。
それもまた、どうにもならないものに含めよっと。